「支援と被支援の関係というのは、対等とは言えません」と話す堀西雅亮さん
「支援と被支援の関係というのは、対等とは言えません」と話す堀西雅亮さん

 〈父も祖父も島根県出雲市のお寺の住職をしていた。父が病気になり跡を継ぐために2007年夏、家族5人で兵庫県から戻った〉

 もともと言葉と文化に興味があって、外国とつながる仕事がしたかった。大学の卒業後は資格を取って神戸や大阪で日本語の教師をしたり、ベトナムからの技能実習生を受け入れる団体で働いたりしました。

 実習生が働く職場では、言葉や文化の壁による誤解や偏見などの課題に直面していました。何とか現状を変えたいと思い、対等な関係を築くための「多文化共生」を考え、互いの言葉や文化、労働習慣などを理解するための活動をしました。

 そんな経験から阪神大震災の直後、外国人住民のニーズに対応しようと設立されたNPO法人「多文化共生センター大阪」では、理事として06年から「職場の多文化共生」に取り組みました。

 出雲に戻った翌年にリーマン・ショックがあった。働いていた日系ブラジル人ら多くの外国人が仕事を失って生活が苦しくなり帰国した。一方、市民団体や行政、企業の有志が、残った人の日本語学習や就労の支援に取り組んでいた。

 それが10年、NPO法人「エスペランサ」設立につながり私もその段階で活動に加わりました。団体名はポルトガル語で「希望」を意味します。

 〈電子部品メーカーなどの製造業が必要とし外国人労働者は増えている。9月末には市人口17万5千人のうち3%弱の約5千人が外国人。国籍はブラジルが圧倒的に多く次がベトナム、中国、フィリピンの順だ〉

 エスペランサでは、日本語教室や外国語教室、交流イベントを開いています。ブラジル人の親が働く企業からの委託を受けて子どもをサポートする総合的なプログラムも5年間実施し、日本語だけでなく母語教育にも力を入れました。自国で学校教育を受ける前に来日したり、日本生まれだったりすると、学校教育で読み書きを習得する機会がないからです。

 私は現在、子どもたちが将来も安心して生きていけるようにどうしたらいいか考え、多文化共生を進めるためのコーディネート、人を結ぶネットワークづくりをメインに活動しています。

 〈外国人労働者は常に不安定な立場にある。働き方改革によって就労時間が少なくなると収入が減り、米中の経済対立で輸出が減ると労働需要も削られて仕事を失う〉

 交流会を開くと「楽しかった」と喜ばれるが、その後に「本当は友達になりたい」と言われたことがある。日本人同士で交流会とは言わない。共生と言いながら、外国人との間に明確な線引きをしていることに気付かされました。

 外国人がいることを想定した社会システムになっていないからです。誰でも安心して生きていけるよう、外国人支援と言うより排除される人を生み出さない社会システムをつくることが重要ではないでしょうか。

 私のお寺では、どんな方でも依頼があればご遺体を安置したり、お葬式をお受けしたりします。誰でも安心して訪れ、居ることができる「ダイバーシティーなお寺」を目指しています。本当に安心して生きることができ、安心して死ぬことができる。そこに、多文化共生も深く関わっていると考えています。

 (聞き手、写真は共同通信編集委員・諏訪雄三)

 

 ほりにし・まさあき 1970年、大阪市生まれ。国家公務員だった父の転勤で近畿、中国地方を転々としながら育つ。横浜市立大卒。神戸、大阪で日本語教師、技能実習生受け入れ団体、多文化共生センター大阪を経て2011年から住職。島根県外国人地域サポーターなども務める。

 

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