ミャンマーの特別法廷は、国軍のクーデターで政権を追われたアウンサンスーチー氏に、社会不安をあおった罪など2件で禁錮4年の判決を言い渡した。10件以上で訴追されており、初の判決だ。今後も次々判決が出る見込みで、全て有罪になれば禁錮100年を超える可能性があるという。

 全権を握った国軍は司法も支配している。裁判の形をとっているが、その本質は国民の支持を集めるスーチー氏の排除という政治目的の迫害だ。審理は非公開で、弁護士の活動や取材が厳しく制限されている。許せない暗黒裁判であり、民意を踏みにじられた人々の怒りと、国際社会の不信を増幅するだけだ。

 軍政の国際的孤立は一段と深まった。経済の困窮も厳しさを増している。軍政は、東南アジア諸国連合(ASEAN)と約束したASEAN特使の仲介を直ちに受け入れ、対話を始めるべきだ。日本を含む国際社会は民主主義回復へ向け、結束して軍政への圧力を強めなければならない。

 判決は、国軍の政権奪取を承認しないよう世界に呼び掛ける声明を出し社会不安をあおったとされる罪と、新型コロナウイルス対策を怠ったという罪に対し出された。他の罪状も汚職、無線機の無許可所持や機密情報漏えいなど理不尽と言わざるを得ないものばかりだ。

 国営テレビは、ミンアウンフライン国軍総司令官が恩赦で禁錮2年に減刑したと伝えた。またスーチー氏は刑務所に送られず、秘密の場所で軟禁が続くという。軍政の「温情」を示したつもりかもしれないが、裁判は茶番だと自ら認めたと受け止める人が多いだろう。

 76歳のスーチー氏の健康が心配だ。毎週開かれる長時間の審理が負担になっているとして隔週にするよう9月に要請したが、認められなかった。10月にスーチー氏の弁護士はフェイスブックで「(当局に)かん口令を敷かれた」「マスコミや外交官、国際組織、外国政府と対話することを禁じられた」と述べた。

 大統領だったウィンミン氏にも特別法廷で、やはり禁錮4年の初判決が言い渡された。ほかにスーチー氏が率いた国民民主連盟(NLD)幹部約50人が訴追され、禁錮70年以上の判決を受けた幹部もいるという。

 旧軍事政権時代の約20年間、民主化運動を率いてノーベル平和賞を受けたスーチー氏は、繰り返し自宅軟禁処分や身柄拘束を受けた。だが有罪判決を受けたのは1件だけだった。許可なく米国人を自宅に入れたとして国家防御法違反罪で禁錮3年とされ、軟禁処分に減刑された。当時と比べてさえ、今の軍政の迫害は常軌を逸している。

 今回の判決と同じ日に国連総会は、ミャンマーの国連大使交代の判断を見送った信任状委員会の報告を承認した。軍政が大使を交代させようとしたが認められず、クーデター前にNLD政権が任命した現職がその地位にとどまる。

 軍政の暴力による弾圧と、一部民主派の武装抵抗が続き、痛ましい衝突が後を絶たない。「アジア最後のフロンティア」として外資導入で潤っていたミャンマーはクーデター後、苦境にあえぐ。日本政府は政府開発援助(ODA)の新規事業を停止したが、軍政に利益をもたらす既存の事業も、人道支援を除いて中止しなければならない段階に来ている。