談笑する桂文吾さん(中央)と弟子の吾空さん(左)=米子市皆生温泉1丁目、おーゆ・ホテル
談笑する桂文吾さん(中央)と弟子の吾空さん(左)=米子市皆生温泉1丁目、おーゆ・ホテル

 米子市を拠点に活動する落語家、6代目桂文吾さん(84)=米子市皆生温泉2丁目=が、約50年間空席だった上方落語の名跡「桂文吾」を2021年秋に継承した。襲名の背景には新しくできた弟子の存在がある。名跡を落語界に残すため、後進の指導にあたりながら芸を磨く。 (新藤正春)

 桂文吾の名跡は初代(江戸時代後期)に始まる。明治、大正時代にかけて京都の寄席で活動し、古典落語の大ネタ「らくだ」を作った4代目が知られる。

 6代目文吾さんは京都市出身。14歳で5代目に弟子入りし、小文吾として活躍したが、劇団を経て27歳の時に芸界を離れた。その後、縁あって米子市の温泉施設「皆生温泉ヘルスランド」の社員となり、00年まで勤め上げた。

 退職を控え、親交のあった人間国宝の故桂米朝さんに「米子を拠点に、再び落語をやりたい」と相談すると、「『山陰の噺(はなし)家』でやればいいじゃないか」と励ましを受け、活動を再開した。

 戦後の混乱期に教わった珍しい噺を多く手掛け、「日野川の河童取り」など地元にちなんだ創作落語に取り組む。山陰での公演のほか、上方落語協会会友として大阪市の寄席「天満天神繁昌亭」へ出演する。

 改名は20年1月、他の一門から移籍した鳥取市出身の桂吾空さん(27)を弟子に取ったことがきっかけになった。

 「5代目文吾の弟子は私しかいない。一門をつながないといけない」。一門にとって大事な「らくだ」を磨き上げ、6代目の襲名を決めた。22年春以降に襲名披露公演を計画する。

 米子で活動を始めて約20年。公演はもちろん、長年続ける市児童文化センターでの落語指導を通して「米子の人にとってなじみが薄かった落語だが、だんだんと聞いてくれるようになった」と振り返る。

 山陰の落語ファンをさらに増やすために文吾さんと吾空さんは、決意を新たにする。「私らがもっと上手く、面白くしゃべらないと。2人でコツコツと勉強していきたい」