松江市から岩手県陸前高田市に出向した武田芳治さん(右から2人目)
松江市から岩手県陸前高田市に出向した武田芳治さん(右から2人目)

 松江市観光文化課の職員、武田芳治さん(49)は東日本大震災で津波の被害を受けた岩手県の陸前高田市に2016年4月から2018年3月末まで2年間、出向して復興支援に携わった。松江に戻ってからも、陸前高田市の産品をイベントで提供するといった支援を続ける。地元住民との交流の中で感じたことや大震災から11年が過ぎた今、思うことを聞いた。(Sデジ編集部・宍道香穂)

▷独自の取り組みで交流人口拡大を支援
 2011年3月11日、武田さんは職場から帰宅し、テレビで地震や津波の映像を目にした。「現実の出来事とは思えなかった。あまりの衝撃で、テレビの前に立ち尽くした」と当時を振り返る。松江市は2012年から陸前高田市に職員を派遣していて、武田さんは派遣の打診を受けた。新たな土地での生活に不安を抱えながらのスタートだったが、「人が好き」「人と人とをつなげたい」との気持ちを胸に、現地に向かった。

武田さんが勤務した、仮設の陸前高田市役所(武田さん提供)

 派遣当時は震災から5年が過ぎ、被災地の復興は少しずつ進んでいた。陸前高田市は被害規模が大きく、高さ17メートルの津波で流されてしまった町を造り直している状況だった。

 津波に備えて約10メートルの土地のかさ上げ工事が進められ、武田さんは工事現場ばかりの町を見て衝撃を受けた。「テレビの向こう側だった世界が目の前に広がり、ゼロから町を造り直しているのを実感した」

かさ上げ工事が進む市内の様子(武田さん提供)

 武田さんは観光の盛り上げや交流人口の拡大といった取り組みの支援を担当した。陸前高田市には津波に耐えた松の木のモニュメント「奇跡の一本松」があり、一目見ようと県内外から訪れる人が多かった。武田さんは春の大型連休で一本松を訪れた人にアンケートをして、どこから来たのか、どこへ向かうのかを調べた。結果、陸前高田市は人々が周辺の被災地を巡る途中に立ち寄る通過点だと分かった。

太平洋沿岸にそびえる「奇跡の一本松」(陸前高田市観光物産協会提供)

 武田さんは「どうすれば観光客の滞在時間を長くできるのか」と、旅館やホテルの関係者、市観光協会の職員らと打ち合わせを重ねた。春の大型連休や盆休みに合わせて、一本松の近くに臨時の観光案内所を設置した。

 陸前高田市は松江市と同じくツバキが市の花になっていて、観光案内所では観光客にツバキを使用したお茶「椿(つばき)茶」を振る舞い、地元漁師の協力でカキやホタテといった海産物を販売し、地元の味を楽しんでもらった。

 武田さんは当初、1年間の任期で松江に帰る予定だったが、半年も経過しないうちに「もっとここで汗をかきたい」との気持ちが芽生え、任期の1年延長を申し出た。

松江市から陸前高田市を訪れた家族と武田さん(武田さん提供)

 武田さんは幼少期から水泳をしていて2016年8月から、市内にある岩手県立高田高校の水泳部でコーチを務めた。水泳部の顧問や生徒も震災の被害を受けていた。「部員と対等に関わりたい」と、練習では武田さん自身もプールに入って競争をしたり、大会や遠征に同行したり、時には厳しく指導したりと、密接に関わった。武田さんは「業務以外でも地元の人の役に立ててうれしかった」と振り返った。

コーチを務めた岩手県立武田高校水泳部での練習風景(武田さん提供)
水泳部員から武田さんへ贈られた寄せ書き(武田さん提供)

▷ソフト、ハード両面で進む復興
 陸前高田市観光物産協会の大林まい子さん(47)は「武田さんが団体同士のつながりを作ってくれて、観光面での振興が加速した」と感謝している。地元の漁師や農業者との連携が取れるようになり、イベントの活性化や交流の広がりを感じたという。

 大林さんは「陸前高田市は海、山、川があって季節を感じられるすてきな場所。豊かな自然に癒やされながら、震災の爪痕にも目を留めて、命の大切さを再確認してもらえたら」と呼び掛けた。

陸前高田市観光物産協会の大林まい子さん(47)

 武田さんは陸前高田市で過ごした日々を振り返り「人が温かいのが印象的だった」と話した。「当時、共に働いていた陸前高田市商工観光課のメンバーは、誰もが被災者だった。みんな何かを無くして、想像を絶する体験をしているのに、そんな様子は見せなかった」

 武田さんの上司だった陸前高田市政策推進室の村上幸司室長(56)は、同じ市役所で勤務していた妻を津波で亡くした。震災当日、村上さんは職場で強い揺れを感じてすぐに避難所へ向かい、妻の行方が分からない中、懸命に設営や市民の誘導に当たった。携帯電話基地局の電波が途絶えて外部と連絡が取れず、数日間は無線で連絡を取り合ったことや近隣住民が持ち寄ったストーブや毛布で寒さをしのいだことを覚えているという。

2016年、武田さんが陸前高田市職員と共に松江を訪れる直前の様子。前列左が村上さん、後列中央が武田さん。(武田さん提供)

 村上さんは2016年と17年、武田さんと共に松江市を訪れ、イベントで陸前高田市のホタテを提供した。陸前高田市で養殖されるホタテは大ぶりな身が特徴で「貝柱が大きい」「すごいですね」と来場者を驚かせた。現在は養殖業者の高齢化や後継者不足、貝毒の流行など新たな課題が生じているが、津波の被害を受けた養殖場は約9割が復旧しているという。村上さんは武田さんの取り組みに対し「松江市で培った知識や経験を生かして引っ張ってもらった。松江市と高田市のつなぎ役となり、新しい風を起こしてくれた」と話した。

松江市内の恒例行事「かに小屋」で陸前高田市産のホタテを提供する武田さん(左)と村上さん

 村上さんは2011年5月から、復興対策局で商工関係者の復興支援に携わった。「先の見通しが立たない中、前に向かって頑張ろうと力を合わせる人々の姿が印象的だった」と振り返る。現在、中心市街地には商業施設が並び、海沿いに広がる観光地・高田松原には国立津波復興祈念公園がオープンした。地元の民家での民泊事業も進んでいて、村上さんは「民泊利用者が被災者の生の声を聞き、体験を共有できる場となれば」と話した。

国立津波復興祈念公園(陸前高田市観光物産協会提供)
飲食店や土産店が並ぶ「まちなかテラス」(陸前高田市観光物産協会提供)

 村上さんは災害への対策について「まずは身の安全を確保することが大切。ハザードマップを確認しておくことに加え、避難後に家族と会う場所を決めておくと良い」と呼び掛けた。災害時は連絡を取りたくても取れない場合が多い。日頃から話し合いや準備をしておくことは不安の軽減につながる。

▷支援の方法はさまざま
 武田さんは松江市に戻った後も、イベントで陸前高田市のホタテやリンゴジュース、昆布の加工品を提供するなど支援を続けている。武田さんは今後の被災地との交流について「モノや行政だけでなく、島根と岩手の人が互いに行き来できるようにしたい」と思い描く。「被災地を見たり、町や人を知ったりする中で新たなものが生まれるし、有事に備える意識もできる」と、現地を見て、人と交流する意義を訴えた。

松江市に戻った2018年、「カラコロ春祭り」で陸前高田市産の昆布の加工品を提供する武田さん(右)

 武田さんは災害時の支援について「現地で本当に求められているものは何か、しっかりと見極めることが大切」と言う。SNSで「〇〇が必要です」との声が拡散されていても、現地では全く別のものが必要とされているケースも多いとのこと。社会福祉協議会や日本赤十字社といった窓口に問い合わせてから行動することで、ニーズとの不一致を防ぐことができる。

インタビューに応じる武田さん

 武田さんは「現地で汗をかくことだけが復興支援ではない」とし、「クラウドファンデング(CF)に協力する、ふるさと納税を利用するなど、支援の仕方はいろいろある」と教えてくれた。

 東日本大震災から月日は流れたが、災害の恐ろしさと教訓を忘れず、防災への意識を高めたい。記者は当時中学生で、被災地の力になれないことに歯がゆさを感じていたが、取材を通じ、被災地と今も続く交流に気持ちが温められた。