自然の猛威に立ちすくみ、制御を失った科学技術の恐怖におびえた東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11年が経過した。関連死も含め犠牲者・行方不明者2万2千人余りの災禍の記憶は、時の経過とともに薄らぎがちだ。どう次の世代につないでいくか。3・11を機会にその使命を再認識したい。
被災地では、復興道路・復興支援道路や災害公営住宅、高台移転による宅地造成など、原発周辺自治体以外でハード面の整備は完了した。放射線量が高い福島県の帰還困難区域でも、6町村で「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)が設けられ、集中的に除染を行い、住民の帰還が始まる。唯一「全町避難」が続いていた双葉町の一部でも、住居の解体・整地作業が急ピッチで進む。
しかし、避難者は減少したとはいえ、依然として3・8万人。復興拠点は帰還困難区域の1割にも満たず、避難先での定住を選ぶ住民が多い。全面的な除染ではないことから、放射線量への不安も残る。福島だけでなく、岩手、宮城の沿岸部でも整備されながら、人けのない空き地が広がり、地域間の明暗がくっきり分かれている。
政府は2021年からを「第2期復興・創生期間」と位置付ける。人口減少と少子高齢化の加速が重なり、かつての活気を取り戻すのは困難かもしれない。ならば、全国のモデルとなるような住民の自主性を尊重したコンパクトなコミュニティー、帰還しない人も関係が保てる街をつくっていくことが必要だ。
今後30年以内に南海トラフ巨大地震が起きる確率は70~80%、首都直下地震も70%程度と算出されており、3・11は決してひとごとではない。大災害に備え、防災・減災対策はもちろん、行政は住民と協議しながら事前に復興計画を練っておくことが求められている。
東北の被災地では、大震災の教訓を学ぶ遺構や伝承施設が整備され、「3・11伝承ロード」と名付けた。被害の甚大さを物語る建造物や映像、写真に加え、語り部が活動しているところも少なくない。肝心なことは「なぜ、被害が拡大したのか」という思考だ。教育現場はもちろん、自治体や企業の研修にも積極的に活用してもらいたい。
振り返れば、2021年の東京五輪・パラリンピックは、東北で一部の競技が開催されたものの、新型コロナウイルス禍の直撃を受け、当初掲げた「復興五輪」という意義は、すっかりかすんでしまった。被災地の住民にとっては複雑な思いだったであろう。
折しもいま、ロシアはウクライナの原発施設を標的にする、極めて卑劣で危険な暴挙に踏み切った。双葉町から避難している住民の一人は「プーチン・ロシア大統領に双葉の現状を知ってほしい」と切実に訴える。過酷な原発事故を経験した国として怒りの声を上げなければならない。
児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市の震災遺構、大川小にあるパネルにはこんな言葉が記されていた。「自然とともに生きることの意味を いのちの重さを知ることの意義を そなえる意識を持つことの大切さを あらためて共に考えてほしいのです」。記憶の風化を防ぐために、私たちは「あの日」を学び直し、語り継ぎたい。明日の、そして未来の命を守るために。