「古代出雲」に学生時代に魅せられて以来、半世紀以上にわたり島根に通い、著書や講演をはじめ多大な功績を残した歴史学者の関和彦氏が72歳で急逝したのは、3年前のことだった▼研究に向き合う姿勢と人柄をしのび、亡くなった後、本紙には識者の追悼文だけではなく、いくつかの投書が寄せられた。「現場百回」の精神や、東京から出雲に来ることを「上雲」と表現していたエピソードなどを紹介。地域振興のキーワードとして挙げられる「関係人口」に、これほどふさわしい人物はいないと思う▼関氏の足跡の一つに、浜辺で汐汲(しおく)みをしながら浦々の神社を巡る習俗として、江戸時代から終戦直後ごろまで続いた「島根半島四十二浦巡り」の価値の再構築がある。関氏の発案で研究会が発足し、関係する神社や民俗行事を紹介する書籍の編集、ツアー開催、ランドマークの整備といった活動が続く▼半島の東、西端の美保神社、出雲大社や日御碕神社などは別格として、歩く先々に驚くような観光名所があるわけではない。沿岸を東西に貫く公共交通もなく、移動は不便である。それでも徒歩か、自転車で巡っていると、海原に体が包み込まれる感覚になる▼2年以上続くコロナ禍を乗り越え、山陰への人の流れをどう取り戻すか、実践していく段階にある。地道に地域の価値を発掘、継承する取り組みを続け、関氏のような稀人(まれびと)の再訪を待つ。(万)