「コミュニケーションディレクター」。
それが私の肩書きです。全国でセレクトショップを展開するビームスに在籍し、15年以上にわたって宣伝プロモーションの仕事に携わりながら国内外の企業、団体、個人などをつなぐパイプの役目を担ってきました。
創業46年を迎えたビームスは2000年代始めから、ホテルをプロデュースしたり、自動車メーカーとコラボレーションしたりと、小売りだけでなくライフスタイルを提案する集団に変わりました。私もその中でいわば「一人広告代理店」のように携わり働きながら、自然と会社の構造を理解し、横断的な視点が備わりました。
その経験と知識をより生かしていくため、昨年立ち上がった「ビーアット」の代表取締役に就任しました。ビームスとして初となる合弁会社です。培った目利きやカルチャーを創造する力とデジタルテクノロジーを掛け合わせ、これからの時代のクリエーティブエージェンシー(制作会社)をつくっていこうとしています。
川上から川下へ、ただ一方的に情報が流れる時代は終わりました。国籍、性別、世代、経験を抜きに一人一人が表現者の時代です。そういった表現者たちが活躍できる社会をつくることを目指すビーアットは、会社というよりむしろ、才能を「発掘」し、企業や人、モノとの「かけ算」で、「物語」を創り出す装置でしょう。
昔は古着にやたら詳しいとか、一つの分野を突き詰めることがかっこいいとされた時代もありました。でも今は、野菜を作りながら音楽も大好きといったように、いろいろなことを混ぜ合わせた雑誌のような趣味・趣向の人が本当にたくさんいます。例えば有名音楽家と60歳の野菜農家のおじさんがコラボしてブランドを立ち上げたり、農園でクラブイベントをしてみたりしてもいいんです。それがこれまでにはなかった価値につながります。違和感、発想、アイデアが柔軟につながっていくようチューニングするのが私であり、ビーアットです。
「インプットしてアウトプットする」を座右の銘にし、これまで実践してきました。昔からとにかく人と人をつなげることが大好きです。出会った誰かに良い話を聞いたら、自分なりに解釈して「すっごく良い話を聞いたんだよ」と他の人に伝えたいんです。それをきっかけに、話を聞いた人と、それを伝えた人が私を介してつながるようであればなおうれしい。それはコミュニケーションディレクターとしての今の仕事にもつながっています。
出雲市多伎町で生まれ育ち、礼儀に厳しく所作や目上の人への接し方などを教えてくれる祖母と、持ち前の行動力で視野を広げてくれる友達のような両親に育てられました。幼い頃からとにかくいろいろなことを調べたり、知識を得たりすることが好きです。それは今も変わりません。
ビームス入社後は、25~40周年まで5年ごとの周年事業の責任者として、企画立案から各媒体を使った情報発信まで、全てを任されたり、20以上ある社内レーベルのカタログ制作のプロデュースを手掛けたりしてきました。
ビーアットでは、東京・原宿のファッションビル「ラフォーレ原宿」内のスタジオと、ウェブサイトを拠点にこれまで、グラフィックデザイナーや写真家、広告業界のクリエーティブディレクターなど100人以上の表現者をインタビュー記事などで紹介しています。
さまざまな人たちに出会い、いろいろな場所へ行き、モノを生み出し、プロジェクトを仕掛けてきました。この連載ではその歩みを振り返りながら、これまで明かしてこなかった私、土井地博(D)の別の「面」を掘り下げていこうという思いをタイトルに込めました。
失敗もしながら見つけてきた仕事のノウハウをはじめ、考えてきたこと、経験などが少しでも故郷・島根にいる方々のまちづくりや仕事のヒントになっていけば幸いです。
(出雲市多伎町出身、ビーアット代表取締役/ビームス執行役員コミュニケーションディレクター)
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隔週月曜日の山陰総合面に掲載。次回は16日付です。