益田が生んだ作家、田畑修一郎(1903~43年)が紀行文「出雲・石見」に書いている。浜田から汽車で西へ小山だらけの海岸沿いを進むと<急にぱっと開いた暢(のび)びやかな感じをうける。(中略)この附近になると甘藷(かんしょ)畑もあまりないので、景色に一種の艶と濃(こ)まやかさがある>▼作家を志し上京して以来、13年ぶりに見る郷里益田の懐かしくも麗しい風光だった。大型連休中、せっかくならと鉄路で松江から実家のある益田へ向かい、遠い昔の車窓からの眺めに思いをはせた▼田畑が執筆のため、出雲から石見を旅したのは1942(昭和17)年のことである。山陰線の三保三隅―益田間が開通したのは23(大正12)年。当時と変わったのは、沿線の風景よりむしろ、鉄道の価値や役割なのかもしれない▼JR西日本が公表した利用客が少ない線区の収支で、出雲市―益田間は年度平均の営業赤字が34億5千万円に及んだ。あろうことか線区別で最大の赤字という。列車内に目を向けると、乗客はまばら。せっかくの旅情から、ローカル線維持の厳しい現実に引き戻される▼田畑が益田から足を延ばした<深い小盆地の底に静かに眠っているような美しい城下町>津和野までの山口線区間も5億5千万円の赤字だそうだ。津和野駅は8月の開業100周年に向けて駅舎改修工事が進む。この先100年、いや50年、30年後の鉄道と沿線地域の姿にもやがかかる。(史)