山陰であった空襲被害についての動画を見る児童たち=米子市両三柳、米子市立加茂小学校
山陰であった空襲被害についての動画を見る児童たち=米子市両三柳、米子市立加茂小学校

 太平洋戦争末期の山陰での空襲被害を学ぶ講演会が、5月24日、米子市立加茂小学校(米子市両三柳)で開かれ、当時、空襲に遭った列車を間近で目にした安江英彦さん(87)=松江市竹矢町=が児童に経験を伝えた。今、ロシアによるウクライナ侵攻で戦争の悲惨さがあらためて伝わってくる中、安江さんは実体験から戦争の恐ろしさを児童に語った。(Sデジ編集部・宍道香穂)

 講演は昨年夏、山陰地方の戦争体験者の証言をまとめた企画「山陰が『戦場』になった夏」(山陰中央新報社とヤフーニュースの共同取材)を元に同校が企画した。平和学習の一環として地元・山陰地方に残る空襲の記憶を児童らに伝えようと安江さんを招いた。6年生約80人が体育館に集まり、講演が始まった。

空襲にあった列車を目撃した安江英彦さん(右)の話を聞く児童たち=米子市両三柳、米子市立加茂小学校

▷戦争の厳しさ感じた凄惨な光景
 安江さんの実家の日吉神社(米子市淀江町)の境内には、参道を横切るようにしてJR山陰線の線路が伸びている。1945年7月28日、安江さんは線路で空襲を受けて避難してきた列車を目撃した。列車は鳥取県大山町の大山口駅付近で米軍の飛行機から機銃掃射による攻撃を受けた。空襲があったのは朝で、鳥取から出雲方面に向かっていた列車内は通勤客などで満員だったという。

日吉神社(米子市淀江町)境内の様子。参道を横切るように線路が伸びている。
日吉神社の境内にある踏切

 当時、国民学校4年生(9歳)だった安江さんが自宅にいると突然、甲高い金属音が響いた。風邪気味だった父に、代わりに様子を見てくるよう頼まれ線路へと向かった。そこには空襲を受けた列車が、神社の近くの森に身を隠すように止まっていた。列車は11両編成で、客車の1~3両目がとりわけひどく攻撃を受けていた。

 安江さんは「列車のデッキに死体が折り重なり、どす黒い血がぽたぽたと線路に落ちていた」と、当時目にした光景を説明した。

当時目にした光景を児童たちに伝える安江さん

 空襲の後、意識があった人は現場付近で下車したと思われ、日吉神社の前に止まっていた列車内はすでに亡くなった人ばかりだったが、その中に「助けてくれ、降ろしてくれ」と叫ぶ男性がいた。現場から移動中に意識を取り戻したようで、列車から降り、周囲の人に手当を受け、助かったという。

 また、ある女性は列車の中に亡くなった娘を見つけ、降ろした遺体に取りすがって泣いていた。体調が悪い女性の代わりに娘が勤労動員へ出かけ、空襲にあったとのことだった。安江さんは「私のせいでお前を死なせてしまったと泣いている女性を見て、周りの人たちももらい泣きした。思い出すと今でも泣きそうになる」と声を震わせた。壮絶な光景を目の当たりにした過去を振り返り、安江さんは「死体や流れる血、悲しむ人の様子を見て、戦争の厳しさを感じた」と話した。

安江さんの話をじっと聞く児童たち

▷日常に影落とす戦争
 1945年の夏休み明け、安江さんが学校に行くと、校庭の芋畑に不発弾が、職員室には機銃掃射の痕があり、夏休み中に学校も攻撃を受けたことが分かった。安江さんは、ロシアによるウクライナ侵攻でも小学校などが攻撃を受けていることに触れ、「戦闘員だけでなく、市民も巻き込まれるのが近代戦争の恐ろしさ」と話した。

 また、安江さんは戦時に参加していた「竹やり訓練」について「竹やりで(敵が持っている)鉄砲に勝てるのだろうかと、子どもながらに疑問だったが、それを口にしてはいけないという空気があった」と振り返り、「疑ったり、批判したりすることができないのが怖いところ。自由に物が言えない時代になったら大変」と訴えた。ウクライナ侵攻を続けるロシアについて「報道を見ていると、当時(戦時)と似たような空気を感じる」と懸念を示した。

現在のJR大山口駅(鳥取県大山町国信)ホームから見た風景
JR大山口駅のそばにある、列車空襲の慰霊碑

▷身近な場所にも戦争あったと実感
 児童たちはじっと安江さんの話に聞き入り、質疑応答の時間では「当時の食事はどんなものだったのか」「警報はどのような音だったのか」など、さまざまな疑問を投げかけた。安江さんは、当時はイナゴやグミの実など、食べられるものは何でも採って食べていたこと、給食はなく、各自で弁当を持ってきて食べていたが、食べ物に余裕がなく弁当を持ってこられない児童もいたこと、空襲警報と警戒警報で音に違いがあったことなど、自身の記憶を元に、児童の質問に丁寧に答えた。

講演会の後、安江さんに話を聞きに行く児童

 講演を聞いた感想を求められると、多くの児童が次々に手を挙げ「身近な場所での出来事を知ることができた。戦争は二度と起きてほしくないと思った」「平和学習では広島のことを中心に調べていたが、鳥取や島根にも被害があったとよく分かった」「山陰であった空襲のことは本などにはあまり出てこない。実際に体験した人の話を聞いて(被害について)よく分かった」など、それぞれの思いを口にした。

安江さんの話を聞いた感想を話す児童

 児童たちは熱心に安江さんの体験談を聞き、講演の後に直接話を聞きに安江さんのもとへ駆け寄る児童もいた。講演が終わり、記者が感想を尋ねると、6年生の中武恵玲奈(えれな)さん(11)は「戦争というと広島や長崎、沖縄で戦っているイメージだったが、こんなにも身近に(戦争が)あったのだと感じた」。6年生の尾﨑帆香(ほのか)さん(11)は「話を聞いて身近な場所でも被害があったのだと分かった。戦争は他人事ではないのだと考えながら、出来事を伝えていきたい」と力強く話した。

 地元の戦争体験者の話を直接聞き、児童たちは、戦争はどこか遠い場所で起きたのではなく、身近な場所も関わった出来事なのだと感じているように見えた。平和学習では広島や長崎の原爆被害について学ぶ一方、地元の空襲の被害や戦時の様子を知る機会はほとんどないように思う。実際に被害を目の当たりにした体験者の話を聞くことは貴重な機会。身近な場所に残る戦争の爪痕を知ることは、平和を「自分事」として考える上で重要なことだと感じた。