島根、鳥取の山陰両県も太平洋戦争末期、列車や基地が狙われ、空襲で市民が犠牲となりました。戦後76年、体験者が年々少なくなる中で、山陰でも空襲被害があったことを知らない人も増えています。悲しい記憶を残し伝えていくため、証言者の言葉と戦争の痕跡をたどり、当時を振り返ります。

山陰が「戦場」になった夏 ~大山口・玉湯列車空襲、そして大社基地~
   山陰中央新報、Yahoo!ニュース共同取材

 

あのとき、わたしたちは ~子どもたちが見た戦争

 <上> 雲南市・山崎武義さん(92) 中2で召集 母の髪お守り
 <中> 浜田市・浜野孝司さん(77) 一度も会えぬまま父戦死
 <下> 雲南市・毛利悦子さん(84) 母、妹と苦難の引き揚げ

 

モノは語る ~戦時下の島根

 <1> 神門通りの松やに採取痕 無計画な国家運営の象徴
 <2> 兵士支えた千人針 紙一重の生死 幸運託す
 <3> 駆逐艦「蕨」再現 戦わず散った「青春」
 <4> 旧海軍大社基地滑走路跡 見て触れて感じる実戦