不妊治療の当事者を対象にした「里親さんとのお話会」が3日、出雲市内であった。治療を経て養子を迎えた女性2人が登壇し、実子を授かる以外にも里親や特別養子縁組という選択があることを体験を踏まえて伝えた。内容を詳報する。 (山口春絵)
島根県東部の50代女性は20代で結婚し、30歳ごろから焦り始めた。妊娠しにくいと診断され、38歳で体外受精や顕微授精に進んだ。一度は妊娠したが流産。42歳で治療費助成が終わるのを機に、治療をやめた。
里親登録は2014年。治療を終え、子どものいないさみしさを感じていた。登録から4カ月後に児童相談所から、1年間の養育里親を打診された。乳児院にいる2歳の女の子だった。
大人だけのわが家に子どもの声が響いた。保育園の送迎や一緒に買い物に行ったり、ごはんを作ったり。夫にとても懐いており、16年3月に2泊3日の神戸旅行を一緒に楽しみ、巣立った後は、夫はもぬけの殻のようだった。
すぐに2人目の委託の話が来て翌月、小学校低学年の女の子を迎えた。日々の成長が楽しみで励み。10代になったその子とは昨年、養子縁組した。最初の女の子は長期休みに泊まりに来るなど交流を続けている。
里親登録して分かったのは、子どもをほしいと思う大人以上に、さみしい思いをしている子がいるということだった。
今、子どもの洗濯物が揺れているのを見ると「こんな生活がしたかったんだ」と思う。生活に彩りをくれた。不妊治療と同時に登録を進め、もっと早く里親になれば良かったと思う。
◇
県東部の40代女性は、顕微授精など2年間不妊治療を経験。30代前半で生後3カ月の男の子を迎えた。
里親は頭にあったが、「どんな子でも育てられるか」などと葛藤があり、一度は「無理だ」と諦めた。東日本大震災が転機だった。「子育てしない人生でいいの」と自問し、登録を決断。委託を打診された時も不安だったが、赤ちゃんの顔を見たら吹き飛んだ。
近所には子どもを連れて「里親になりました」とあいさつに回った。受け入れられ、今もかわいがってもらっている。
血縁がないことを本人に伝える「真実告知」は4歳ごろ。テレビで出産シーンを見て「僕もママのおなかから生まれたの?」と聞かれたので話した。それから、ハイハイなど赤ちゃん返りが1年続いた。出産ごっこも繰り返していて、言葉にならない不安を表していたのだろう。
「(実の)お母さんはどこ? 名前は?」と何度も聞かれた。血縁を秘密にしたい里親もいるが、告知するべきだと思う。子は理由を繰り返し尋ねるうちに理解する。つらさや悲しみを一緒に感じて、受け止めることが大切だと思う。
生みの親と暮らせない子も、そうでない子も自分が大切な存在だと思えることが人生を歩む力になる。大切に思ってくれる誰かと出会える子が増えるように願っている。
……………………………………
会は生殖医療専門医や看護師、児童相談所職員らによる「家族支援のための自主検討会」が開いた。里親制度の説明や心理カウンセラーの講演もあり、約20人が聴いた。問い合わせは同会事務局の内田クリニック、電話0852(55)2880。