読者の皆さんから、身近なテーマについてコメントを募り、山陰中央新報とSデジに掲載する「さんコメ!」。「親との関係」に、たくさんの投稿をありがとうございました。紙面では、投稿の一部を紹介します。Sデジに全ての投稿と記者の雑感を掲載していますので、お楽しみください。(かっこ内はペンネーム。内容は一部要約・編集しています)
■「親子であっても価値観は違う」ことを意識して心がけています。社会でいろんな世代と接し、生きてきた背景を知ることで、けんかばかりしていた親と少しは寄り添えるようになった気がします。(のんきーもんきー)
■母が亡くなり父が入院した翌朝、「お父さんが寂しがるから、今晩から病院で寝てくれないか」と主治医は言った。7カ月半、父といろんな話ができて楽しかった。スープの冷めない距離にいるのが一番だと思う。(ドルチェ)
■昔は父も母のことも大好きだった。母が認知症になると父は怒鳴り、物を投げるなど、母を攻撃し始めた。今は距離を取っている。仲が良かった昔が懐かしいが、自分が苦しくなるのは嫌だ。(ストレスをためない介護娘より)
■「ふるさとは遠くにありて思うもの」。近くにいると世話になったりなられたり、落ち着かないこともあります。たまに帰省する、今の距離感くらいがちょうど良いです。親のありがたみ、大切さを感じ、近くにいてあげられる人は幸せだなぁと感じます。(とんぼ)
■独身で両親と暮らしているが不仲。特に父は年とともに了見が狭くなり、非常識扱いされる。20代後半でうつ病を患った時、父は私を異常者扱いした。自分を殺して一緒に暮らそうと思ったが、口論時に包丁に手をかけた父を見て、家を出ようと決めた。(コヨリ)
■母が典型的な「毒親」。自分が一番かわいそうな人間と思い込み、ストレス発散のために暴言や暴力を振るった。「あんたなんか生まれてこなきゃよかった」と面と向かって言われた。距離を置き、他界するまでの約10年は会うことはなかった。後悔はなく、今も許せずにいる。
■高校までは親に言われるように過ごした。大学の途中で1人暮らしを始め、親の言いなりだったことが普通じゃないことを知った。勉強時間の干渉や、何時間にも及ぶ父親の説教。母や祖父母も助けてくれず、まさに「毒親」だった。今は子育てを両親に助けてもらいつつ、スープの冷めない、見えない距離で生活している。
■数年前、手相占いをしてもらった時「あなたは、親と別れたほうが幸せになる」と言われた。母は6歳の時に、父は43歳の時に他界。これが、私の運命だと受け入れている。(やっこ)
■父は自分の意に沿わないことがあると「怒り」を「無言」で表し、圧力をかけてきた。母は無邪気という邪気を感じさせる人だった。2人は介護が必要になりつつあるが、正直に言ってしんどい。つらいし、知らん顔したい。実家に行くたびにさまざまな葛藤がある。(ネコネコ)
■年を取ってからも、親は「ちゃんとあいさつした方がいい」とか、細かいことを言う。自分の子にも、成長に合わせた対応をしようと思うが、気付かぬうちに同じことをしているかも。(日々是好日)
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次回テーマは「コロナ禍で変わったこと・変わらなかったこと」です。リモートワークやワーケーションなど新たな生活スタイルや価値観が生まれました。冠婚葬祭の在り方も変化しています。良くも悪くも変わったけれど、コロナ禍前の状態に戻ったこともあると思います。暮らしや働き方、人生観に変化はありましたか? 感じることをお寄せください。