3世代で食卓を囲む人々(共同)
3世代で食卓を囲む人々(共同)

 読者の皆さんから、身近なテーマについてコメントを募り、山陰中央新報とSデジに掲載する「さんコメ!」。「親との関係」に、たくさんの投稿をありがとうございました。紙面では紹介しきれなかった投稿と、記者の雑感を掲載していますので、お楽しみください。(かっこ内はペンネーム。内容は一部要約・編集しています

 1、自分が親になり心がけているのは、親子であっても価値観は違うという前提でいること。社会に出ていろんな世代と接し、生きてきた背景を知ることで、ケンカばかりしていた親に少しは寄り添えるようになった気がします。(のんきーもんきー)

クリスマスツリーを作る親子(資料)

 2、母が典型的な毒親でした。自分が1番かわいそうな人間だと思い込み、ストレス発散で暴言や暴力をふるってきました。「あんたなんか生まれてこなきゃ良かった」「あの時死んでいれば良かったのに」と面と向かって言われたこともあります。私自身が子どもを育てる中で「毒親」であることをますます思い知らされ、母と距離を置きました。他界するまでの約10年、一度も会う事はありませんでした。それでも後悔はしていないし、今も許せずにいます。

 3、大学合格の次の日、父は言った。「これからは親を頼らず、自分で考えて行動せよ」と。しかし、学資や小遣いは今まで通りくれ、私の将来の事は相談しなければ怒られる。これが「親離れ」? 母が亡くなり父が1人になった。父が入院した翌朝「お父さんが寂しがるから、今晩から病院で寝てくれないか」と主治医が言った。亡くなるまでの7カ月半、私は病室で暮らし、いろんな話ができて楽しかった。親子は親離れ子離れと言うけれど、スープの冷めない距離にいるのが一番と思う。(ドルチェ)

 4、結婚34年になり、今は両親の介護をしています。昔は父も母も大好きでした。少し前、母が認知症になると父は母に怒鳴り、物を投げるなど攻撃するようになりました。あんなに大好きだった父はもういません。老いが原因だと思います。だから今は、距離を取るようになりました。仲良くしていた昔が懐かしいです。でも、自分が苦しくなるのは嫌です。(ストレスをためない介護娘より)

 5、父親は自分の意に沿わない事があると「怒り」の感情を「無言」の態度で表し、相手に圧力をかけてくる人。母親は無邪気という邪気を感じさせる人です。そんな両親も年を取り、介護が必要になってきました。正直しんどいしつらい、知らん顔したい。実家に行く度にさまざまな葛藤があります。(ネコネコ)

進路相談をする親子(資料)

 6、一人っ子で、高校まで親に言われるままに過ごしました。大学は県外に進学するつもりで、親も了承していたはずでしたが、願書を出す段になり方針転換し、地元の国立大学へ。かわいそうに思った母方の祖母が両親を説得してくれ、2年生から大学の近くで1人暮らしができた。学生らしい生活をして、友達とたくさん交流し、自分のこれまでがいかに普通じゃないかを知った。深夜0時前に寝ると、母親が部屋に入り電気をつけて「こんな早く寝て、100点を取る自信があるの?」と言ってきた。だから中学時代は毎日午後9時から午前1時まで、高校時代は午前3時まで勉強した。また父親は自分が辞書だといい、反論すると部屋に呼ばれ何時間も説教してきた。母はもちろん祖父母も助けてはくれない、まさに「毒親」だった。今は子育てを両親に助けてもらいながらも、反面教師と心に刻み、スープの冷めない、でも見えない距離でお互いに生活をしている。

 7、「ふるさとは遠くにありて思うもの」。以前は近くに住んでいて、何かと世話になったりなられたりして、落ち着かない感じもしました。離れた今、たまに帰省するくらいの距離がちょうどよいかなと思っています。ただ、以前は足取りの軽かった両親も、最近は出かけることがおっくうになってきて、こちらが帰るのを待っていることが多くなったかなと思います。親のありがたみや大切さを感じ、近くにいてあげられる人は幸せだなぁと感じます。(とんぼ)

 8、年をとってからでも、親は親として細かい事を言います。ちゃんとあいさつしたかとか。自分の子どもに対しては、成長に合わせた対応にしようと思うのですが、気づかないうちに同じようなことをしているのかもしれません。気をつけたいと思います。(日々是好日)

 9、独身で、不仲の両親と暮らしています。子は成長していくのに、親は退化の一途。了見が狭くなり、私は非常識扱いされるため、日頃は会話しないように努めています。父はもともとわがままでしたが、加齢で拍車がかかり、自分に異を唱える人間は全て非常識だと言います。母は常識はありますが、ほぼ父の味方です。20代後半、私はうつを患いましたが、父は異常者扱いしました。育ててくれた感謝も忘却のかなた。自分を殺し、何とか一緒に暮らそうと思ってきましたが、口論の際、包丁に手をかけた父を見て、自身を守るため数年後に家を出る事にしました。親子関係は、子どもが認めて初めて成立するのだと思います。親子関係の難しさを毎日憂いています。(コヨリ)

 イラスト・Loose Drawing

 10、私は数年前、手相占いをしてもらったとき、「あなたは親と別れたほうが幸せになる」と言われました。母は私が6歳のときに、父は43歳のときに他界しました。私が実家を出たのは18歳でした。これが、私の運命だと受け入れています。(やっこ)

 11、私が幼少期の頃から両親は共働きで、母もフルタイムで働いていました。父は家庭に無関心。両親は毎日のように私たちの前でケンカし、母はしょっちゅう家出を繰り返しました。その母は、気分で子への態度が変わるため、いつも顔色をうかがっていたように思います。成人してからも、母には本音を言えない、甘えられない関係が続きました。40代になった今、子どもを育てる大変さを身に染みて感じ、働きながら子育てをしていた母の苦悩も、ちょっとは分かるようになってきました。両親の事、特に母親を思い出すと暗い気持ちになっていましたが、思い返せばいつもご飯は手作り、いろんな所に連れて行ってくれた、父親の代わりに真剣に叱ってくれてたんだな、母は私たちのために頑張りすぎていたんだな、と思うようになりました。少しずつ、母に感謝の気持ちで接する事ができるようになりました。(40代ママ)
 

記者雑感 親元を離れ、ありがたみ知るように

 親子の関係は「子に対する本気度」に関わるのかな、と投稿を読んで感じました。子の現状や将来を真剣に考えた結果の行動なら、多少厳しい態度や言葉も、子が成長し親になったときに理解され、関係改善が見込めそうですが、親の利益中心や理不尽な行動ばかりであれば、険悪なままになりそうです。
 20代後半、独身の記者は「子」の立場しか知りません。中高時代は、地元にある旧帝大への進学を目標とされ、両親からは毎日「勉強は?」「何でこんな成績なんだ」と言われつづけ、窮屈な毎日を送りました。不仲、とまではいかなかったものの、良い気持ちを抱いていなかったのは間違いありません。
 親元を離れ9年、年1度会うか会わないかくらいになって、ありがたみを知るようになりました。言われていた言葉も「ああ心配してくれていたんだな」と、とらえられるようになりました。
 月並みな感想ですが、親に感謝の気持ちを持って接し、自分が親になるときは経験を生かした関係をつくりたいです。 (担当記者)
 

次回テーマ 「コロナ禍で変わったこと・変わらなかったこと」

 次回テーマは「コロナ禍で変わったこと・変わらなかったこと」です。リモートワークやワーケーションなど新たな生活スタイルや価値観が生まれました。冠婚葬祭のあり方も変化しています。良くも悪くも変わったけど、コロナ禍前の状態に戻ったこともあると思います。暮らしや働き方、人生観に変化はありましたか? 感じることをお寄せください。
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