後継者がおらず休止状態となっている安来市伯太町東母里の窯元「母里窯」の復活に向け、地元住民らが残っている登り窯を活用した陶芸イベントを計画し、機運の高まりを願っている。9月末以降、母里地区住民はもとより、安来市内各地の小中学生らにも成形した作品を寄せてもらっており、11月に焼き上げる。 (桝井映志)
母里窯は江戸後期の1844年、母里藩が松江藩の布志名焼の窯元に教わって開いたのが始まり。住民が使う日用品の陶器を自給するためで、明治期に廃れるまで地区内に複数の窯元があった。くすんだ青色が特徴の「母里焼」は、かつては地区のどの家にもあったという。
現在、母里窯と呼ばれるのは、明治期の89年に稲垣家が創業した窯元。まきを使って焼く昔ながらの登り窯が残る。2000年の鳥取県西部地震での被災を乗り越えたものの、13年に5代目当主が85歳で亡くなり窯の火が消えた。
陶芸イベントは「もりもり炎まつり」と題し、住民ら7人の実行委員会が初めて企画。地区外からも作品を募り、これまでに約270人が寄せた。27日は、地元の旧奥野邸(安来市伯太町母里)で陶芸教室があり、住民が荒島地区の陶芸教室メンバーに手ほどきを受けて粘土をこね、思い思いに皿や花器、カップなどを形作った。
登り窯の火入れは11月19日で、2日間程度焼く予定。実行委はイベントをきっかけに母里窯に目を向けてもらい、窯を継ぐ陶芸家が現れることを期待している。稲田郷会長(77)は「若い感性で特徴的なものを作れるような人に来てもらえるといい」と話す。














