太平洋戦争末期に本土決戦に備えて突貫工事で建設された旧海軍大社基地は、出雲市斐川町にあるのに、なぜ「大社」と名付けられたのか。諸説あるが、敵の目を欺き混乱させるため、という見方もある。「はっきりした理由は分からないが、ただ単に大社という地名が有名だったからとみることもできる」。歴史研究を進める「戦後史会議・松江」の若槻真治世話人代表が話していた▼その大社基地跡地を戦争遺跡として残す運動が進められている。島根史学会など学者・市民グループが国や島根県、地元出雲市に調査、保存を求めている。当時としては西日本有数の航空基地が滑走路を中心に良好な状態で残り、戦争の痕跡を後世に伝える貴重な「物的証言」となり得るという▼戦後長らく跡地の多くが国有の遊休地だったが、今年1月、出雲市の企業が購入したのをきっかけに保存運動が高まっている▼「戦争を語り継ぐ人が少なくなっている中で、当時の追い込まれた日本の姿を伝える跡地は、平和学習の生きた教材」と若槻さん。国の史跡指定に相当する歴史的価値を訴える▼要望に対し、県と出雲市などは検討を進めているが、既に民間が所有しており、遺跡として保存するには企業の同意が必要だ。跡地を購入した企業は「県や出雲市と協議しながら、活用方法を考えたい」という。活用の仕方によって、「大社」が平和学習の基地になる。(前)