つるされた干し柿∥6日、松江市東出雲町上意東(魚眼レンズで撮影)
つるされた干し柿∥6日、松江市東出雲町上意東(魚眼レンズで撮影)

 安来市出身の陶芸家、河井寛次郎は郷土びいきだった。拠点にした京都での会で「天さかる鄙(ひな)(都から離れた田舎)にしあれば出雲には甘柿なんて氣(き)の利いたもん、ありまへんやろ」と皮肉られると、「ヘン、柿をさわすことさへ御存じない癖に王城の地も厚かましいヤ。柿を生マで食ふことなら烏(からす)だつて知つてますからナ」と応酬したという。

 松江中学の同級生で島根の民芸運動を導いた太田直行氏が『出雲新風土記 味覺(みかく)の巻』(1938年刊行)に記した。出雲人は、柿といえば西条柿をさわした(渋抜きした)合わせ柿を思い浮かべる。京都の主流は甘柿だったのか。手間を加えて甘さを引き出す古里の味を、名陶工はより好んだのだろう。

 同書にはさわし方の記述もある。水からゆがいた柿を、おけに湯ごと移し、きれいなわらを入れて落としぶた。そのおけを菰(こも)で包み、もみ殻の中へ埋めて一晩温度が冷めぬようにする。甘味が強く外観も美しいので、柿の季節には菓子屋が泣いたとか。今は、ドライアイスや焼酎で手軽にさわすが、昔の合わせ柿を食べてみたい。

 もう一つ気になったのが、煤(すす)払いをする12月13日の夕げに食べる習わしだったという、小豆と吊(つる)し柿とで煮た「煤とり団子」。どこかの家庭では、まだ食されているかもしれない。

 今季は柿が豊作だったようで親戚からたくさんいただいた。これも何かの縁。今年は団子を作ってみよう。(衣)