島根県津和野町寺田にある「丸山」と呼ばれる小高い丘に、地元の戦没者84人の霊を弔う忠魂碑が建つ。1924年12月に建立され、かつては住民憩いの場だったが、50年以上も放置され訪れる人もいなくなった。地元有志が、半ば忘れられた存在になっていた憩いの場の復活に向け、再整備に乗りだした。建立100年を迎える2024年には慰霊祭を開くという。
丸山は標高約100メートル。見晴らしがよく、花見時期には桜をめでる地域住民でにぎわい、子どもたちの遊び場でもあった。
忠魂碑は台座も含め高さ約3・5メートル、幅約2・5メートル。碑は自然石で縦約1・5メートル、横約80センチ。日清戦争の戦没者2人、日露戦争の戦没者6人の名前が刻まれている。
1971年に地元有志でつくる忠魂碑委員会が、太平洋戦争の戦没者76人の名前を刻んだ黒い御影石を台座の下に設置したのが、最後に伝わる公的な行事だった。その後、モウソウダケが周囲を覆い、自慢の見晴らしも悪くなった。
建立100年の節目を前に、この地を再び住民の憩いの場にしたいと、地元有志5人が「忠魂碑を守る会」(下地知会長)を立ち上げた。今月半ば、草刈り機やチェーンソーを使って遊歩道や碑周辺の草刈りや竹、雑木の伐採に汗を流した。
下地会長(72)は「当面は周辺の草刈りをしながらツツジや桜を植え、昔の景観を取り戻したい。来春には参加者を募って花見大会を開きたい」と意気込みを語った。
(青木和憲)













