旧民主党政権当時に所得制限なしの子育て支援を「ばらまき」と批判した自民党幹部が児童手当の所得制限撤廃を要求。岸田文雄首相は育休中女性のリスキリング(学び直し)支援を表明し、「朝令暮改」「非現実的」と世論の反発を受けた。
首相は「異次元の少子化対策」を表明。与党公明党も児童手当の所得制限撤廃と対象拡大を主張する。一方で防衛力強化とそのための増税に国民は厳しい。そんな中での子育て支援を巡る政権側の言動は、統一地方選向けの目玉政策をつくりたい意図が透けて見える。
問題点は、そこにとどまらない。少子化は国民の暮らし、国の存立を危うくする。子どもは将来の日本を支える働き手、消費者、社会保障の担い手だからだ。全国民が負担を分かち合い、国を挙げて立ち向かうべき課題だ。しかし首相をはじめ政権側の危機感は本物なのか、疑念を抱く。
首相は「わが国は社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際」として企業、高齢者、独身者も含め「国全体として取り組む」ことで出生率を反転させると表明した。これはまさに、立憲民主党が民主党時代からとる「社会全体で子育てする」という考え方そのものではないのか。
これまで自民党は、子育ては「第一義的に家族、保護者の責任」という姿勢で通してきた。民主党政権は2010年、中学生以下の全ての子どもに一律月額1万3千円を配る「子ども手当」を創設。だが自民党は「財政破綻を招く。家族の価値に対する考え方が違う」(安倍晋三元首相)として「愚か者」とまで言って批判し、12年には児童手当へ名称変更、後に所得制限も復活させた。
ところが今回、かつて子ども手当を「ばらまき」と言った本人の茂木敏充幹事長が児童手当の所得制限を「全ての子育てを支える観点で撤廃すべきだ」と主張。首相は「尊重する」と呼応し、撤廃の方向で調整に入った。
無節操な変わり身だ。かつて「愚か者」と批判した責任はどうなるのか。所得制限が続いた「失われた10年」が少子化進行を深刻化させたのではないか。茂木氏は「反省する」と言ったが、言葉だけではなく「失敗の本質」をきちんと検証し、今後に生かす必要がある。
重要なのは政権として「社会で子育てする」姿勢への転換を明確にすることだ。その上で首相が言う「子ども予算倍増」の負担を、全国民的に分かち合ってもらえるよう説得すべきだ。首相は「家族か社会かの二者択一の考え方はとらない」と曖昧にすべきではない。
ただ児童手当の所得制限撤廃で支給が再開する高所得世帯の子どもは、対象となる中学生以下の約4%だ。これだけでは少子化の歯止めに足りない。選挙向けアピールにとどまらず、保育サービス充実、働き方改革も含む総合的対策が必要だ。
育休中女性のリスキリング支援発言は、首相の認識の甘さを露呈した。子育て当事者から「育児は仕事より大変」「子育てをしてこなかったから言える」と猛反発を浴びた。
ただでさえ出産後の母親の体調、乳児の世話が大変だから、政府は男性の育休取得を促進している。学び直しを勧めるなら0~2歳児保育の体制整備も欠かせまい。現場の実態も踏まえず、思いつきで打ち出せるほど少子化対策は簡単ではない。