岩手県の「わんこそば」、長野県の「戸隠(とがくし)そば」と並ぶ日本三大そばの「出雲そば」。江戸時代の松江城下で食文化として洗練され、出雲大社の寺社参拝と深く結び付いたために松江、出雲が中心だが、石見を含めた山間地こそ、出雲そばの文化と伝統を語る上で、欠かすことのできないピースである。先日、松江市内で日本蕎麦保存会の片山虎之介会長(72)の講演を聞き、その思いを新たにした。

 出雲そばを食文化として位置づけた松平治郷(不昧公、松江藩7代藩主)が好んだ素材は、中国山地の懐にある豪雪地帯・備後国恵蘇(えそ)郡(現在の広島県庄原市)産のソバだった。片山会長は「不昧公は参勤交代で江戸にも行っていたから、江戸の細くて白いそばも知っていたはずだ。しかし、自分のよって立つ所は、(黒い)出雲のそばにあると、信念として愛していた」と話す。

 山あいの荒れた土地でも育つ救荒作物として重宝された在来種のソバは「生き残らないといけない」という生命力が強い。実がなってもまだ花が咲いているものもあり、個体差はバラバラだ。穀物としての香りに、...