戦国大名・尼子経久の生涯を描く小説「謀聖 尼子経久伝」のシリーズ完結を記念し、作者の武内涼さん(45)=群馬県高崎市=が19日、安来市内で講演した。知略に優れるのみならず人徳があり「庶民に心を寄せ、慕われた珍しい大名」だと魅力を語った。
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講演要旨は以下の通り。
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なぜ経久の小説を書いたか、経久の魅力は何かを語るに当たり、そこに関係する私の歩みを話したい。
私は小学2年の頃に漫画「三国志」(横山光輝)、5年の頃に歴史小説「項羽と劉邦」(司馬遼太郎)に出合い、歴史が好きになった。雑誌「歴史群像」(ワン・パブリッシング発行)を読むようになり、コラムを読んで経久を知ったのは中学1年の頃だった。

主君に追放されて浪人になり、苦労しながらも月山富田城を取り返すのだが、忍者で芸能集団の「鉢屋衆」を味方に付け、富田城の正月の祝いの席に芸能集団として入らせ、城主に襲いかかるエピソードがドラマチックで面白かった。なおかつ引かれたのが、謀略に秀でながら穏やかな人柄で、貧しい人に着物を与えるなど優しいこと。「三国志」の劉備のように人徳がある人だと思った。

私は中学2年の頃、黒沢明監督の映画「七人の侍」を見て時代劇を作りたいという夢ができ、映画業界に入った。30歳過ぎまで裏方の仕事をして「監督になれないんじゃないか」と悩むようになり仕事をやめた。
挫折し、作家として再起しようとした時、助けてくれたのは大好きな歴史上の人物たちだった。どん底からはい上がった経久もその1人。立ち直る力をもらった。私だけでなく、苦しみの中にある人を勇気づけるパワーが経久の人生にはあると思う。だから、経久の小説を書きたいと思った。
経久は民衆に寄り添う精神を持っていた人で、そこに魅力を感じる。当時、そんな大名は少なかったと思う。年貢の負担を軽減したほか、貧しい人に着物を与えたりしていた。富田城の拡張や出雲大社の修復などいろいろと土木工事をしたが、公共事業で経済を刺激して民衆に仕事を与えるという意味もあったと思う。

戦争も「即戦即決」が特徴だった。これだと民衆にかかる負担は軽かったのではないか。例えば、...