推恵神社の本殿(右)と境内社・御前神社の鳥居=松江市西川津町
推恵神社の本殿(右)と境内社・御前神社の鳥居=松江市西川津町

 「すいけさん」と呼ばれる神社が松江市の親戚宅近くにあり、子どもの頃、夏休みに長く滞在した際は、ラジオ体操の集合場の境内によく通った。正式名は推(すい)恵(けい)神社。西川津町の楽山公園近くにあり、祭神は出雲・日御碕神社の検(けん)校(ぎょう)(神職)小野尊俊(たかとし)。実在の人物で、涙なしには語れぬ夫婦の愛が背景にあることを、近年知った▼尊俊は、2代松江藩主の松平綱隆により現在の島根県海士町に配流され、4年後の1678年に憤死した。諸説あるが、尊俊の美しい妻を見初めた綱隆が、無理難題を押しつけ、流罪に処したという。松江城に連行された妻は、綱隆の求めを固辞し続け、清操を保ったというからすごい▼ようやく解放された妻は海士へ渡ったが、時すでに遅し。尊俊の死を知り、悲しみのあまり入水したという。近藤泰成著『隠岐・流人の島』には、海士町に伝わる尊俊の憤死の経緯や妻の最期が詳細に書かれており、興味深い▼推恵神社は、綱隆の急死をはじめ不運が続いた松平家が尊俊のたたりだと恐れ、6代藩主宗衍(むねのぶ)によって、日御碕神社の近くと、没した海士町内にも建てられたという▼松江の神社には、境内社の御前神社がある。『川津郷土誌』によると、妻を祭ると解されている。祭神名は清操(すがみさ)辺(べ)命。字面からしても、妻に間違いないだろう。ロマンチックというには激しく悲しすぎるが、とりわけ妻の愛の強さに感心してしまう。(衣)