漫画『孤独のグルメ』の原作者久住昌之さん(62)の最新エッセー『面(ジャケ)食い』(光文社)は、見知らぬ町でガイド本やネットに頼らず、手探りでおいしい店を探し当てる喜びを活写する。20日の第69回全日本広告連盟山陰大会に出席するため松江市を訪れた久住さんが『孤独のグルメ』で作画を担当した故谷口ジローさん=鳥取市出身=との思い出や、創作の裏話、そして飾り気のない街角の食の魅力を語った。 (斎藤敦)
「面食い」は久住さんの造語。知らないアーティストのレコードをジャケットを見た印象と勘で判断して購入する「ジャケット買い」に由来する。雑誌やネットなど情報過多の中で、自分の勘だけを頼りに店を選ぶ。自分の足で歩き回り、店の前で穴があくほど観察。看板やたたずまい、時にはのれんのくたびれ具合から店の歴史を推理。さらにほかに候補はないか、周囲を探索して、最後に入る店を決める。
作中に登場するのが松江市西茶町の上田そば店。「不気味なまでのおとなしさが、ボクを素通りできない気持ちに」させた。高いそば屋には絶対にないご飯ものや、うどんは「グルメで観光客の目を引こうとしていない」とみる。細打ちの江戸前そばが一番と思っている久住さんだが、自然体の店で食べた新そばに、「出雲そばはうまい」と初めて感じた。
久住さんは自分が選ぶ店に「外れはない」と言い切る。「たとえまずくても、漫画のネタになる面白さがある。おいしくても漫画にはならないことだってある」からだ。
「そもそもみんな『おいしい』って言いながら食べない。『孤独のグルメ』の主人公井之頭五郎も言わない。食べ物がおいしくなるには空腹が一番。五郎も空腹になって店を探し、ひたすら食べる」
『孤独のグルメ』には、鳥取市が登場。ナシとラッキョウとカニのエキス入りの「鳥取カレー」に、五郎はラッキョウやナシの要素が感じられないと不満を漏らす。しかし鳥取市名物スラーメンを食べた後でも、しっかり完食する。「おいしいといわなくても、五郎は満足している」。それを伝えるのが谷口さんの画力だった。
『孤独のグルメ』は掲載誌の編集者が「ハードボイルドグルメ」を作ろうと発案。久住さんと谷口さんに白羽の矢を立てた。当時の谷口さんは劇画調から柔らかで繊細なタッチへと作風が大きく変化していた。久住さんは「ハードボイルドではないのでは」と、成功を疑問視。谷口さんも一度は断ったが、編集者の熱意に押されて連載が決まった。
谷口さんの仕事はとても丁寧だった。1回8ページの連載に、24ページ並みの時間をかける。あまりの完成度に、久住さんは「絵に合わせて僕の方がせりふや文章を直すことがあった。それで完成。谷口さんの再修正はもちろんなし」。
谷口さんには、連載と休載を繰り返して長い年月をかけてじっくりと紡ぎ出される名作が目立つ。関川夏央さんとの共作「『坊ちゃん』の時代」シリーズは12年で全5部が完結。1979年にスタートした『事件屋稼業』は、90年代に中断し、未完のままだ。
『孤独のグルメ』も94~96年の雑誌連載後、2008年に再開。中断前、久住さんは谷口さんから「江戸を書きたい」と時代物の原作を持ち掛けられた。しかし谷口さんの思いの大きさを計りかねて断った。谷口さんの希望は11年の「ふらり。」で実現。久住さんは「これなら自分でもできたかもしれない」と少し悔しがった。
飲食店が新型コロナウイルスに苦しめられて1年以上になる。「(僕らにできるのは)とにかく食べに行ってあげることだ。1度ではだめ。何回も行こう」と全国にいる「井之頭五郎」に呼び掛ける。「おいしい」と言わなくても、満腹になり、満足して店を出る静かな「孤独のグルメ」たち。コロナ禍の飲食店を支える可能性を秘める。
たにぐち・じろー 鳥取市出身。1971年『嗄(か)れた部屋』でデビュー。98年、「『坊っちゃん』の時代」で手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。代表作に『事件屋稼業』『歩く人』「神々の山嶺』。鳥取県を舞台にした『父の暦』『遥かな町へ』。フランスの芸術文化勲章シュバリエを受章するなど、欧州を中心に評価は高い。2017年、69歳で死去。