ちょうど50年前の1973年の今頃、全米シングルチャート(ビルボード)の1位にあったのはジム・クロウチの「リロイ・ブラウンは悪い奴」だった。7月21日、28日と2週、首位をキープした。彼にとってヒットチャート入り4曲目にして初のナンバーワンヒット。さあ、これからというときに、しかし、悲劇は起きた。2カ月後の9月20日、ルイジアナでコンサートを終え、次の会場地に向かうために乗った飛行機が離陸に失敗する事故を起こし、仲間と共に亡くなってしまった。遅咲きの30歳。早すぎる死だった。
優しい歌声のシンガー・ソングライターだ。アコースティックギターの弾き語りで奏でる音楽も素朴で優しい。彼の音楽をリアルタイムで聴くには若すぎて、知ったのは死後10年以上たってから。「アイ・ガッタ・ネイム(ラスト・アメリカン・ヒーローのテーマ)」という歌を何かのきっかけで耳にし、「なんて美しい歌だろう」と調べてみると、悲運の死を遂げたアーティストであることも分かった。そんな知識が入っているから、この歌を聴くときの感動にはいつも悲しみが伴う。
「リロイ・ブラウンは悪い奴」のような軽快なナンバーもいいけれど、「アイ・ガッタ・ネイム」のような情感に訴える歌に彼らしさがよく表れていると思う。もっとも、「アイ・ガッタ・ネイム」は彼にしては珍しく、他者が書いた歌。作詞はノーマン・ギンベル、作曲はチャールズ・フォックス。ロバータ・フラックの「やさしく歌って」(73年)を作ったコンビだ。自作曲で一つ挙げるなら「オペレーター」。別れた彼女への思いを電話交換手に語る(今では考えにくい)設定の歌詞と切ないメロディーが心に響く。
「リロイ・ブラウンは悪い奴」に続くシングル「アイ・ガッタ・ネイム」は彼の死後、10位のヒットを記録し、続く「タイム・イン・ア・ボトル」が73年の年末から74年初めに2曲目となる1位に輝いた。72年に発売されていたアルバム「ジムに手を出すな」も74年1~2月にアルバムチャートのトップに立った。(洋)