東蝦夷地の開拓にあたって、幕府は松前藩から「場所」と呼ぶ知行地を取り上げ、それまでの運上屋を会所と改名して幕府から派遣した役人を駐在させた。また、ロシアの襲来に備えて松前からの陸路の整備を始めた。新道を切り開き、渡し場に舟を置く...
蝦夷地を測る・津和野藩士 堀田仁助(10) 多発する海難事故 新航路開拓へ白羽の矢
残り1035文字(全文:1150文字)
続きを読むには会員登録が必要です
無料会員登録(山陰中央新報IDを取得)すると
付きのデジタル記事が月5本まで読める
ニュースレターで最新情報を受け取れる
プレゼント応募や、クーポンが利用できる