ティファニーのアルバム「ベスト16」
ティファニーのアルバム「ベスト16」

 ティファニーかデビー・ギブソンか―。1980年代後半、ミーハーな、いや、流行に敏感な洋楽ファンの好みは分かれていたはずだ。米国でほぼ同時期にデビューした10代の女性アーティスト2人。本人たちがどう思っていたかはともかく、ライバル同士と誰もが見ていた2人が、短い期間にヒット曲を連発しチャートをにぎわした。

 デビー・ギブソンは70年生まれ、ティファニーは71年生まれだから、2人は1歳違い。現在、52歳と51歳になる。デビーは86年に16歳でデビューし、ティファニーは翌87年に15歳でデビューした。80年代半ば以降、シンディ・ローパーやマドンナ、ホイットニー・ヒューストンら女性歌手の活躍が目立ち始めた中での新星登場だった。

デビー・ギブソンのデビューアルバム「アウト・オブ・ザ・ブルー」

 デビー・ギブソンはデビュー曲「オンリー・イン・マイ・ドリームス」(86年)が4位のヒット。2枚目のシングル「シェイク・ユア・ラブ」(87年)も同じく4位になった。3枚目「アウト・オブ・ザ・ブルー」(87年)は一つ上げて3位だった。ナンバーワンには届かなかったものの最初から3曲連続してトップ10ヒットを記録したのだから、華々しいデビューである。これらの曲を収録するアルバム「アウト・オブ・ザ・ブルー」も7位まで上がった。かなりの偉業だが、すぐ後に出てきたティファニーのインパクトの方が上回った。

 ティファニーはデビューシングルは不発だったものの、2枚目の「ふたりの世界」が87年11月に見事1位に輝いた(2週)。勢いに乗ってデビューアルバム「ティファニー」も88年1月に1位に(2週)。続くシングル「思い出に抱かれて」も2月にトップに立った(2週)。わずか4カ月ほどの間に三つの1位である。しかも、16歳1カ月でのナンバーワン獲得は女性歌手で3番目の若さであり、10代でアルバムがナンバーワンになるのと、10代でシングルが2曲連続ナンバーワンになるのは、いずれも女性歌手では初めてという、記録ずくめのデビューだった。

 しかし、デビーも負けてはいなかった。デビューアルバムから4枚目のシングルとしてリリースした「フーリッシュ・ビート」が88年6月に念願の1位を獲得(1週)。4枚目にカットしたシングルでナンバーワンヒットを出すことができるデビューアルバムの底力を実感させるヒットでもあった。さらに89年に発表したセカンドアルバム「エレクトリック・ユース」と、そこからのファーストシングル「ロスト・イン・ユア・アイズ」がそれぞれ3月にアルバムチャートとシングルチャートのトップを飾った(エレクトリック・ユースは5週、ロスト・イン・ユア・アイズは3週)。

 ここまでが2人の絶頂期。トップに輝いたのは、どちらもシングル2曲、アルバム1枚だから、互角の結果といえそうだ。ちなみに88年の年間アルバムチャートでは「アウト・オブ・ザ・ブルー」が7位、「ティファニー」が9位だった。

 そんな2人は、同じようなアイドル歌手とみられがちだが、違いはデビー・ギブソンが自ら作詞作曲し、プロデュースも手がけたところ。ティファニーは、「ふたりの世界」がトミー・ジェイムス&ザ・ションデルズの1967年のヒット曲のカバーだったし、4曲目のシングルはビートルズのヒット曲の「ハー(彼女)」を「ヒム(彼)」に替えた「アイ・ソー・ヒム・スタンディング・ゼア」(7位)だった。カバーも含め、えりすぐりの楽曲を携えたティファニーが、シンガー・ソングライターのデビー・ギブソンに挑む構図も描けた2人のヒット曲争い。ダンスチューンでは「ふたりの世界」VS「シェイク・ユア・ラブ」、バラードでは「思い出に抱かれて」VS「ロスト・イン・ユア・アイズ」が好勝負だった。(洋)