ビルボードのヒットチャートは、レコードの売り上げ、ラジオのエアプレイ、ジュークボックスの再生を元にランク付けし、それを1955年から「トップ100」という名称で公表してきた。しかし、58年8月からは新しく「ホット100」とタイトルを変えてしまった。何が変わったのか。簡単に言うとレコード部門とラジオ部門に限定して公表するようになった。ジュークボックスの再生が57年ごろから下降しつつあったので、どうやら対象から外したようだ。このような経緯から、厳密に言えばこの58年は「ホット100」が正解ということになるが、ここでは便宜上「トップ100」としている。

 さて、今回は20位から11位まで。

20位「アット・ザ・ホップ」(歌)ダニー&ジュニアーズ
 邦題は「踊りにいこうよ」。軽快なロックンロールナンバーで7週連続1位に輝いた。歌っているダニー&ジュニアーズは一発屋とは異なり他にも「ツイスティン・U.S.A.」「ロックンロール・ヒア・トゥ・ステイ」などのヒットがある。73年の映画「アメリカン・グラフティ」の劇中にも採用された。リードボーカルのダニー・タップは決して迫力のある声の持ち主ではなかったせいか、当初のグループ名ジュヴィニアーズ はジュニアーズに変えさせられてしまった…のではないかと個人的にはいぶかっている。

19位「セクレタリー」(歌)ジミー・ロジャース
 20世紀初頭には同姓同名かつ高名なカントリーシンガーがいたが、その彼が亡くなった33年に生まれたのが、こっちのジミー・ロジャーズ。「セクレタリー」はゆったりとしたロッカバラード風のナンバー。シンプルな四つのコードで構成される1625進行(Key:B♭)と言われる循環コードが使われているが、セカンドヴァース以降では4番目のコード(ドミナント)をハーフディミニッシュ(m7th♭5)という緊張感が高まった和音に置き換えているのが特徴。ジャズをはじめとして、ポピュラーでも凝ったアレンジに使用されるが、ロカビリーのコーラスで使用されるのは、この当時ではちょっと珍しいのではないかと思う。

18位「ヒズ・ゴット・ザ・ホール・ワールド・イン・ヒズ・ハンド」(歌)ローリー・ロンドン
 当時14歳の英国人少年ローリー・ロンドンが歌ったゴスペル調の曲。この後、幾多数多のカバーが世に出たが、オリジナルである彼の盤が最大のヒットだった。かなり宗教色が強い歌詞だが、親しみやすいメロディーとスピリチュアルな内容を持った曲。ロンドンは、この後これといったヒットには恵まれなかったが、50年代で最も成功した英国人アーティストなどと称された

17位「ストゥッド・アップ」(歌)リッキー・ネルソン
 24位「プア・リトル・フール」に続きチャートインとなったリッキー・ネルソンの定番ロカビリー。B面の「ウェイティング・イン・スクール」もピークで18位となった。この人はヒットパレードの常連とも言っていいシンガーで、前年にも「ア・ティーン・エイジャーズ・ロマンス」と「ビー・バップ・ベイビー」の2曲を50位以内に送り込んでいる。今回のようにA面とB面の両方がヒットすることも多く、59年以降も頻繁に「ホット100」に登場することとなる。

16位「トワイライト・タイム」(歌)プラターズ
 この曲は元々40年代に作られたインストナンバーで、当時演奏したのは電子オルガン、アコーディオン、ギターという編成のグループ、スリー・サンズ。作曲者も彼ら3人の名前がクレジットされていたが、プラターズが歌う際に新たに歌詞が作られた。この後もたくさんのアーティストがこの曲をカバーしたが、最もなじみがあるのはこのプラターズ盤というオールディーズファンは少なくないのではなかろうか。シンプルなロックンロールやR&Bとは異なって、メロディやコード進行が凝った作りで、当時のリードシンガーだったトニー・ウィリアムスも気持ちよさそうに歌っている。なお、有名グループの例に漏れずプラターズもメンバーの変遷が半端なく、その過程において辞めたメンバーが別なプラターズを名乗ったりしたため、当時から近年にかけて米国内では相当数のプラターズが存在したと言われている。

15位「リトル・スター」(歌)エレガンツ
 エレガンツは白人5人組のドゥワップグループ。この曲のバックコーラスで歌われているとおり、この曲は「きらきら星(トウィンクル・トウィンクル・リトル・スター)」をヒントに作られたと言われている。このエレガンツと次に登場するシルエッツは「58年の不思議な現象」と言われることが多い。共に1位に輝いたにもかかわらず、この後ヒットチャートにカムバックすることなく、ワンヒットワンダー(一発屋)の仲間となったからだ。

14位「ゲット・ア・ジョブ」(歌)シルエッツ
 「リトル・スター」と同じく、ワンヒットワンダーながらもオールディーズのスタンダードとなった曲。シルエッツは、黒人4人組のドゥワップグループ。2週にわたって1位となったにもかかわらず、エレガンツ同様ヒットチャートに再び顔を出すことはなかった。ちなみに「ゲット・ア・ジョブ」は、仕事に就くという意味だが、ミステイクスというドゥワップグループは「アイ・ゴット・ファイアード」というタイトルの曲を歌った。これは「失業した」という意味で、「ゲット・ア・ジョブ」のアンサーソングと言われている。こんな具合に米国では、アンサーソングというジャンル(?)の曲が想像以上に多数存在する。

13位「バード・ドッグ」「デヴォーテッド・トゥ・ユー」(歌)エヴァリー・ブラザーズ
 57年に「バイ・バイ・ラブ」(11位)「ウェイク・アップ・リトル・スージー」(19位)でトップ100に初登場したエヴァリー・ブラザーズ。実はこの58年にはこの2曲を含めて5曲がトップ100に入った。シングルのA面だった「バード・ドッグ」が13位、B面の「デヴォーテッド・トゥ・ユー」は88位、「プロブレムズ」62位、そして2位には「オール・アイ・ハヴ・トゥ・ドゥ・イズ・ドリーム」と「クローデット」のカップリング。注目すべきは、これらの曲の作者。英国のシンガーソングライター、ロイ・オービソンが作った「クローデット」を除く4曲は、ブードル&フェリスのブライアント夫妻が書き上げた曲だった。前年の「バイ・バイ・ラブ」も「ウェイク・アップ・リトル・スージー」もこの夫妻が作った曲。 

12位「ザ・パープル・ピープル・イーター」(歌)シェブ・ウーリー
 直訳すると「紫色の人食い怪物」ということになるが、我が国では「ロックを踊る宇宙人」というタイトルのシングル盤だった。この曲をジャンル分けすると、ノベルティソング、つまり「珍奇な効果音や早口などを盛り込んだポップス」ということになろう。歌っているシェブ・ウーリーは、当時西部劇俳優として人気のあった人。日本でも放映された西部劇「ローハイド」にも出演していた。この曲の中には、ノベルティソングらしく、58年に流行った他のアーティストの曲がさり気なく挿入されている。ひとつは35位ロイヤル・ティーンズが歌った「ショート・ショーツ」で、「ウィ、ウェア、ショート・ショーツ」というコーラスがなんとも効果的に使われている。もうひとつは8位のチャンプスが演奏した「テキーラ」だ。ただ、「テキーラ」のメロディラインを挿入する時間がなかった、もしくはうまく活用するアイデアが出てこなかった等の理由でオリジナルが持つ、酒(テキーラ)が飲めるという高揚感や期待感、あるいは飲酒後の泥酔感は表現されずに曲の最後でパープル・ピープル・イーターが早口で「テキーラ」と言葉を発したのみだった。

11位「イッツ・オンリー・メイク・ビリーヴ」(歌)コンウェイ・トゥイッティ
 邦題「思わせぶり」。当時ロックンローラーだったコンウェイ・トゥイッティが歌ったロッカバラード風ナンバー。プレスリーが歌っているのでは?と一瞬思ったりするほど、確かに声質はよく似ているし、どこか歌唱法も似ている、または似せているような気もする。しかし、偶然か故意かは別として、当時プレスリーに似た声質のシンガーは多く存在していた。トゥイッティは60年代半ばからはカントリーシンガーとして活躍し、ビルボード・カントリーソング・チャートでは40回以上もトップに君臨した実績を持つ。ちなみにこの曲は、後に英国のホリーズやレッキング・クルー のミュージシャンだったグレン・キャンベルがカバーしており、我が国ではオリジナルよりは彼らのカバーの方で知られている。

  (オールディーズK)
  =読者投稿=

 ※主として1960年代にロザンゼルスのスタジオで演奏していたミュージシャンの集団。演奏者としてレコードジャケットなどに記載されることはなかったため、マニア以外の一般のリスナーには知られることがなかった。