1958年のトップ100は、いよいよ10位から1位まで。この中のおよそ半数近くは、スタンダードナンバーとなっていて、現在でもさまざまなメディアから流れたり演奏されたりすることがある。個人的にもサブスクリプションを利用してスマホにダウンロード。ドライブやウオーキングの際に聞いている。
10位「リターン・トゥ・ミー」(歌)ディーン・マーチン
ディーン・マーチンは言わずと知れたエンターテイナーでイタリア系米国人。青年時代は用心棒だとか違法カジノのディーラーだとか怪しげな仕事に手を染めていたらしいが、少年時代から憧れていたビング・クロスビーを目指して、ある楽団に加わったことをきっかけにコメディアンのジェリー・ルイスとコンビを組み、テレビ番組や映画に出演するようになった。「リターン・トゥ・ミー」はルイスとのコンビ解消後にレコーディングしたラブソング。アコーディオンの和音とともに女性コーラスがイントロを担い、マリンバが色を添えるといった展開からマーチンの歌が始まる。BPM(テンポ)が1分間に40前後のゆったりとした曲。
9位「イッツ・オール・イン・ザ・ゲーム」(歌)トミー・エドワーズ
20世紀の初めに書かれたこの曲をエドワーズがカバーし、ピークで1位となるほどヒット。アフリカ系米国人がトップを取ったのは、ビルボードの歴史の中でも初めてのことだった。元々オーソドックスなポピュラーソングだが、ピアノを3連同時和音で弾くなどR&Bっぽいアレンジで仕上げ、テンポも70くらいに落とした結果、リラックスしたサウンドに仕上がった。この曲への思い入れが強かったのか、エドワーズは51年にもレコーディングしており、こっちはオリジナルにかなり近い感じ。弦楽器の伴奏のみで歌い上げ、ベースやドラムなどのリズム楽器を加えないアレンジだった。
8位「テキーラ」(演奏)チャンプス
われわれの世代だとベンチャーズの演奏で慣れ親しんだメロディーだが、オリジナルはこのチャンプス。かなりラテンチックなサウンドで曲の作りそのものはシンプル。ラテン系の楽曲は、管楽器とか打楽器などが曲の冒頭からフィーチャーされることが多いが、この曲は意外なことにイントロとエンディングで、アーチトップギター(フルアコースティックエレキギター)のカッティング奏法が使われている。前回の「その4」、12位「ザ・パープル・ピープル・イーター」の項で述べたような「テキーラが飲めるという期待感や事後の泥酔感」もさることながら、酒!うれしい楽しい!といった雰囲気が伝わってくる。演奏中3回ほど発せられる、酔ったような♪ テェキィラ ♪というドスの利いた(?)乾いた声は、日本人ではなかなか出せない独特な発声。チャンプスはセッション・ミュージシャンで構成されたグループで、米国内では8曲のヒットを持つ。これらのレコーディングではレッキングクルーのメンバーが参加しているとも言われているが真偽の程は定かではない。ちなみにこの「テキーラ」、日本では似て非なる演奏のマックス・グレーガー楽団の演奏でちまたにはやった。
7位「キャッチ・ア・フォーリング・スター/マジック・モーメンツ」(歌)ペリー・コモ
ペリー・コモはビング・クロスビー、フランク・シナトラ、ディーン・マーチンなどと同様に楽団の専属歌手をステップにショー・ビジネスの世界に入っていった。ポピュラー・ミュージックの王道を歩んだようなシンガーで、ピークで1位を獲得したことは14回を数える。カップリングされたシングルレコードの片方「キャッチ・ア・フォーリング・スター」は、ピアノ、ギター、ベース、ドラムのカルテットに男女のコーラス隊が加わった4ビートのアレンジ。メロディーラインはいかにもポピュラーミュージックらしいものだが、コモのソフトな声質を生かしたうえ、リズムにR&B的要素を取り入れ、単調さを回避するために途中で転調している点などが、この当時としては目新しかった。もう片方の「マジック・モーメンツ」は、バート・バカラックとハル・デヴィッドの手によるもの。彼らコンビの初期の作品で、コモの歌声と相まってほのぼの感が漂う。
6位「セイル・アロング・シルヴァリー・ムーン/ラウンチィ」(演奏)ビリー・ヴォーン楽団
邦題「浪路はるかに」。この日本語タイトルを見ると即座にビリー・ヴォーン楽団を連想するほどオールディーズ・ファンにはなじみの深い曲だが、実はこれもリバイバル。58年当時、すでにトラディショナルポップスとなっていたオリジナルは、37年にビング・クロスビイ盤でこの世に出た。さらにそれ以前の1912年には同じ作曲者(パーシー・ウェインリッヒ)の「ムーンライト・ベイ」という曲が存在していて、実はそれが真のオリジナルと言う説もある。ビリー・ヴォーンは両方ともレコーディングしているが、ヴァース(Aメロ)が似たようなメロディーのうえ、ビリー・ヴォーンの演奏ではアレンジも似ているので、ちょっと聞いた限りでは両者の区別はつきにくい。大きく異なるのはコーラス(サビ)の存在。「ムーンライト・ベイ」はヴァースだけの構成だが、「セイル・アロング・シルヴァリー・ムーン」はちゃんとコーラスが存在する。翻って、37年のクロスビイ盤は、どことなくハワイアンムードが漂っていて、テンポも72前後のスローなものだったが、ビリー・ヴォーンはこれを95前後にまで上げ、さらにR&B風なベースラインを取り入れてメリハリが効いたインストゥルメントに仕上げた。表現が的を射ているかどうかわからないが、ビリー・ヴォーンの演奏スタイルは端正そのもの。主にサックスが奏でる主旋律に3度や5度の和音を重ねるのが彼のスタイルなので、ブラスセクションは譜面どおりのシンクロ性を強く求められたのではないだろうか。カップリングの「ラウンチィ」は、前年にリリースされたサックス奏者ビル・ジャスティスのロックンロール・インストゥルメント・ナンバー。
5位「パトリシア」(演奏)ペレス・プラード楽団
6位もインストナンバーが続く。マンボの王様ペレス・プラードが自作し自演した楽曲。ペレス・プラードはキューバで生まれ育ったが、さらなる活躍を求めてメキシコに移住。そこで楽団を結成して米国でもブレイクした。「マンボNo.5」、「マンボNo.8」、「セレソ・ローサ」(55年年間1位)などのヒットを持つが、最も売れたのはこの「パトリシア」。他のヒット曲に比べるとラテン特有の情熱感は一歩引いた感じの曲で、プラード自身が発する独特な「ゥ~~~アッ」という掛け声もなければ打楽器の乱れ打ちもないが、プラードのラテンスタイルを日本ではロカンボと称した。ロックンロールとマンボの合体というわけで、日本のレコード会社がネーミングしたらしく、プラード本人もいたく気に入っていたとか。この「パトリシア」をルムバの王様ザビア・グガードも60年にカバーしているが、こちらはルムバを前面に出したアレンジでさらに踊れる楽曲になっている。
4位「ウィッチドクター」(歌)デヴィッド・セヴィル
デヴィッド・セヴィルは、51年にローズマリー・クルーニー(俳優ジョージ・クルーニーの伯母)が歌ってヒットした「カモナ・マイ・ハウス」の作者。「ウィッチドクター」は2倍速で録音した音声を効果的に使ったノベルティソング。セヴィルの本名はロス・バグダサリアンと言い、シマリスのキャラクター、アルビンとチップマンクスを生み出した人物でもある。この曲は後年、Dr.マリオのCMソングとして海外で使われるようになった。♪ ウー イー ウッアッアー ティン タン ワラワラ ビンバン ♪という歌詞(?)がいつまでも耳に残る。
3位「ドント/アイ・ベッグ・オヴ・ユー」(歌)エルヴィス・プレスリー
テンポが70にも満たないほどスローなロッカバラード。作詞作曲は、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラーのおなじみのコンビ。ピアノ、ベース、ギター、ドラムのカルテットにコーラスの常連ジョーダネアーズが加わった構成で、プレスリーの歌唱力が存分に発揮されたナンバー。
2位「オール・アイ・ハヴ・トゥ・ドゥ・イズ・ドリーム/クローデット」(歌)エヴァリー・ブラザーズ
13位「バード・ドッグ」で紹介したとおり、トップ100に5曲がランクインした中で最上位だったのが、この2曲。しかし、オールディーズナンバーとして親和性が高いのは、邦題「夢を見るだけ」の「オール・アイ・ハヴ・トゥ・ドゥ・イズ・ドリーム」。近年ではあまり演奏には使用されないトレモロの効いたギターの奏者は、独特の奏法で世界的に知られたチェット・アトキンス。個人的には68年のグレン・キャンべルとボビー・ジェントリーのカバーが印象深い。「クローデット」は、英国のシンガー・ソングライター、ロイ・オービソンが最初の妻の名前に触発されて作った曲。
1位「ヴォラーレ」(歌)ドメニコ・モドゥーニョ
58年の1位に輝いたのは「ヴォラーレ」。イタリア人のモドゥーニョが自作して歌い、現在でも歌い継がれるようになった名曲。89年にジプシー・キングスのアップテンポ・バージョンが大ヒットしたので、このオリジナルを知らない人は、すごく情熱的な曲と思うかもしれないが、原曲はどちらかというと穏やかな曲調。そもそも題名も「ネルブル・ディピント・ディ・ブル」が本来のタイトル。これは「青く塗られた空で自分も青くなった」といったような意味。とはいうものの、歌詞の和訳を見ても、そのニュアンスはよくわからないというのが正直なところ。ちなみにヴォラーレは飛ぶという意味なのだそうな。今年亡くなった高橋幸宏さんも78年のファースト・アルバムの中でこの「ヴォラーレ」を歌っていたし、近年ではイル・ヴォーロの圧倒的な歌唱力で度肝を抜かれたが、オリジナルが持つ暖かみのある歌唱&サウンドをぜひとも聞いていただきたい。(オールディーズK)
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