激しい揺れと巨大津波に言葉を失ったあの日から10年を迎えた。死者、行方不明者、災害関連死が約2万2千人。目の前で猛威を振るう新型コロナウイルスへの不安や時間の壁に、被災当事者でない人にとって、東日本大震災の記憶はかすみがちかもしれない。しかし、天災という宿命から逃れられないこの国で暮らす以上、私たちはあらためて3・11を見つめ、防災、減災を考える一日としたい。

 これまで32兆円の復興予算が投入され、高台の宅地や災害公営住宅の整備、インフラの復旧など、確かにハード面の復興は進んだ。だが、依然として東京電力福島第1原発周辺の住民ら約4万1千人が、全国で避難生活を送っており、もう一つの緊急事態を表す「原子力緊急事態宣言」が10年を経過した今も、解除されないままだ。

 東京五輪の聖火リレーが走るJR常磐線双葉駅前から一歩足を踏み入れると、傾いた商店など震災直後と変わらぬ人の気配のない光景が広がる。放射線量の高い帰還困難区域は337平方キロも残り、原発事故の過酷さを物語る。岩手、宮城両県沿岸部ではかさ上げ、整備された土地にも空き地が目立ち、住民が戻ったとは言い難い。人口減少・高齢化が加速する日本社会を先取りした縮図とも言える。

 ふるさとの心の原風景を取り戻すのは容易ではないだろう。それでも被災地の人たちは前へ進んでいかなければならない。人と人の接触を排除させるコロナ禍も加わり、孤立が懸念される被災者の心身のケアや、それぞれの地域におけるコミュニティー機能の再生は重要性を増している。

 なりわいの創出に向け、自治体は住民が主役の構想を練り、それを県や国が継続的に支援していくことが求められており、復興は現在進行形だ。

 平成は数々の災害に見舞われた時代でもあった。地震は3・11だけでなく、阪神大震災、新潟県中越地震、熊本地震、北海道地震などが発生、令和に入っても、先月13日には宮城、福島両県で震度6強を記録したばかりだ。豪雨や台風災害は毎年のように列島を襲う。

 これから先には、マグニチュード8~9クラスの南海トラフ巨大地震、マグニチュード7程度の首都直下地震について、30年以内の発生確率が、70~80%、70%程度と予測されている。

 何を心掛けるべきなのか。いざというときの身の回りの備え、近隣の住民とも協力した行動を再点検したい。3・11を実感できない若い世代に対しては、日頃の防災教育はもちろん、修学旅行などで被災地の伝承施設を訪れてもらうことも、もっと検討すべきだ。

 市民1100人余りが犠牲となった宮城県気仙沼市では中学生の「語り部」が東日本大震災遺構・伝承館で活動する。被災地の高校生を対象とした共同通信のアンケートでは、9割近くが「被災経験を継承したい」と回答。「被害を繰り返さない」「悲しみを忘れない」「感謝の気持ちを伝える」との理由を挙げた生徒が多かった。こうした若者の意識は心強い。

 歳月の経過とともに記憶の風化が抗しがたいのも事実だ。だからこそ、東日本大震災を自分の問題として捉え、教訓を学び直し、伝え、次の世代につなぐ。私たちだけではない、未来のかけがえのない命を守るためにも。