読者の皆さんから意見を募り、山陰中央新報とSデジに掲載する「さんコメ!」。「がんになっても 感想特集」にたくさんの投稿をありがとうございました。いただいた全ての投稿と、記者の雑感を掲載しています。(かっこ内はペンネーム。内容は一部要約・編集しています)
1、夫が先輩。私が後輩。二人で、「ガンガン」夫婦です。先輩は12年。後輩は3年。私はがん慣れしていたせいか、病名を告げられても、さほどショックではなく、担当医に「がん保険はおりますか?」などと聞く始末。「もっと悲しむかと思いました」と担当医。自分の心に問うてみた。ほんとにショックではない? 悲しくない? 手術怖くない? 別によき妻を演じるわけじゃないけど、自分より、父さんの体のほうが心配だから、後回しになってるみたい。(がんこちゃん)
2、「がん」の闘病や治療はとてもつらく、心身ともに大変な負担だと聞きます。その問題に加えて、金銭的にも、家族の負担も大きな問題だと思います。自宅から病院が遠い場合には、その行き来も大変です。家族が寝泊まりや休憩できる場所などがあれば、少しは負担減につながり、患者と向き合う余裕ができるように感じます。以前、夫が米子の病院に入院した時、住まいのある松江市から毎日米子に通うのは、とても負担でした。患者本人も、周りの人たちにも、安心して治療や闘病に専念できる環境はとても大切だと思います。(240、50代)
3、高校生、小学生の子育て中の私です。検診でそれぞれ原発のがんが同時に2カ所も見つかってしまいました。まさか自分がこんなことになるとは思っていなかったので、驚きを通り越して放心してしまいました。しかもがんが二つなので、悩みも2倍です。これからの治療のこと、経済的なこと、仕事のこと、考えることが多すぎて途方にくれます。
がんになって思いましたが、特に精神的に不安定になりやすく、これまでしていたことがとてもおっくうになってしまい、人と会うのもつらい時もあります。なぜ自分だけがこんな目に…とかネガティブなことも思ってしまいます。しかし、がん治療は今とても進歩しているので、希望を持って治療に臨もうと思ってます。がんにかかると、頑張ろうと思っても不安定になることもあるので、温かく見守っていただけると助かります。前向きにいろいろと考えられるようになるまでにはもう少し時間が必要かな。(50代女性)
4、肺がん、乳がんが同時に見つかって、治療が始まるところです。毎年職場の検診と、がん検診を受けていたおかげで、どちらも早期の段階で見つかりました。同時に二つのがんが見つかったことはとてもショックでしたが、どちらも早期だったことが救いでした。がんは早い段階で見つかった方が予後がいいし、治療期間も短期間で済みます。仕事と治療を両立していくこともできると思います。症状が出てからでは遅いと思うので、がん検診は積極的に受けた方がいいと思います。がんになっても、治療を受けながらこれまでと同じように暮らしていきたいと思っています。(きなこ、50代)
5、私の夫は48歳で大腸がんになり、手術と抗がん剤治療を行い、3カ月後に復帰。その2年後、50歳の時にすい臓がんと肺転移が見つかり、2021年11月に亡くなりました。「がんになっても」の記事を毎回読ませていただき、当事者さんの声を伺い、いつも夫と重ねております。がんは、イコール「死」ではなくなって来てはいます。しかし、すい臓がんは今だに生存率が低い病気です。「抗がん剤を止める」選択は夫に託しました。家族なら「頑張れ」と続けさせる事が多いかもしれませんが、私は病気を代わることも治すこともできないので、治療の中止や延命についても本人に任せました。これが正しいとは言えませんが、こういう考え方の家族もいるんだと思って頂けたらと思います。「がんとともに」伴走してきた家族側の感想です。(のの、46歳)
6、健康診断は職場の福利厚生を利用して毎年受けていましたが、10年くらい前に自分で体の異変に気づき病院へ。それ以降、治療を続けながら毎年人間ドックも受けています。健診より検査項目が多く費用も高額ですが背に腹はかえられません。治療のおかげで今のところ症状は悪くなってはいませんが、発症後10年を過ぎると発症した部位ががんに移行することもあるというお医者様のお話に気を引き締めつつ、人間ドックで体の他の部分にもしっかり目を向けたいと思う私です。(neko、64歳)
7、数年前、叔母を胃がんで亡くしました。彼女は看護師をしていたので自分自身の状態が今、どのステージにあるかを理解していました。看護師というプライドもあったのでしょう、「痛い」とか「苦しい」など弱音は一切吐きませんでした。彼女の強さに、弱い私たち(家族や親族)は生きるとはどんな事かを教えてもらった気がします。私が子どもの頃から優しく厳しく接してくれた叔母に感謝の気持ちを忘れた事はありません。
8、もし、私ががんになっても治療はできるだけしたくないです。治療しなかったらの余命を聞き、身辺整理をし、死を受け入れたいです。子どもたちも独立し、気がかりなのは夫のことだけ。伝えるべきことを伝えて、あの世で待っていますと潔く逝けたらいいなぁって思っています。その気持ちは夫、子どもたちに伝えてあります。それだけ、人生がとても楽しく幸せだからです。(かわらなでしこ、60代)
9、今夏、ステージ2の乳がんが分かり、抗がん剤治療中です。チリチリツーンとした痛みとしこりがあり、総合病院に予約外受診し、運良くその日の内に超音波検査と細胞診までしてもらうことができました。忙しい中、予約外受診を了解し、出会えた主治医に感謝。初診から1週間後の診断、転移有無の検査など、治療開始までの間、不安と恐怖で食べられず眠られず10キロ近く痩せた。
がん検診を受け、食事や健康にも配慮していたと思う。町の乳がん検診は隔年で、一昨年は異常無し。在職中、町内各地へ事業で出かけ、参加者に乳房の自己検診を勧めていた私。月1回の自己検診を怠っていた。時々は触っていたし、数カ月前の誕生月には触ったが、もう片方にも同じようにあるから違うわと素人判断した。ネットを見て、乳がんによっては早く進行する型や検診車による一方向のマンモグラフィーでは見つけにくいものもあると知った。
乳がんが分かって4カ月余り、今は乳房切除手術前の二つ目の抗がん剤治療で、いろいろな副反応に悩まされている。がんになったことはもう変えられないこと。ああすれば良かった、こうすれば良かったと悔いても無駄。私と関わる人たちが、私と同じようながんの苦しい目にあうことのないよう、月1回の自己検診を勧めている。手術後、治療が落ち着いたら、自分の体験を生かしてピンクリボンアドバイザーの講習を受け、認定試験を受けたいと思う。小さなことでも社会貢献できたらいいなと思う。がんになっても寛解すれば死ななくても済む時代。生きていることをありがたく思い、一日一日を大切に生き、少しずつでもできることをしようと思う。(冬のスミレ、65歳)
10、がんになったことを両親に伝えた時、親を泣かせた。高齢の親を心配させて親不孝している。親より先には死にたくないと思う。がん治療を続けながら職場の理解を得て仕事を続けている人もいる。タレントのだいたひかるさんは、再発や転移の心配もあるなかで、片パイで子育てされている。すごいなと思う。
私は、体調が悪くて仕事を休むと、替わりの人が必要になり迷惑をかけるので仕事は辞めた。治療に専念し、家事や体調がよければ畑やガーデニングをしている。乳房切除手術や転移は怖くて心配だが、なってもいないことを心配することはない。治療を続けながら仕事をしている人や、だいたひかるさんのようにすごく頑張っている人と同じように頑張ることはできないが、自分にできること、今日は〇〇ができて良かったと思える日々を送っていこうと思う。(冬のスミレ、65歳)
11、がんになりたくなかった!当たり前! つらい副作用、お金と時間もかかる、生活も変化する。望んでがんになりたいと思う人がいようか、いるわけがない。昨日は午後から吐き気と軽い嘔吐(おうと)、微熱でバテていた。がんにならなくて済むものなら、ならないで済むほうがいい!(冬のスミレ、65歳)
12、5年間闘病した父が今年天国へ旅立ちました。この5年間は、父はがんと戦い、私は弱って性格がどんどん変化していく父と闘いました。身体を支えるより、父のメンタルに振り回されました。がんは、患者本人だけのものではなく、家族にも大変な事が次々起こります。
私はこんな経験ができて良かった、親から学ばせてもらったと今は思えるようになりました。同じ時期に母も認知症になりましたから、父は母を守ってやらないといけないと思う気持ちと、身体が思うようにならないいらだちでイライラすることが多くなりました。
病院の先生やスタッフさんのお力を頂きながら、最後の最後まで頑固な父らしい生き方に寄り添ってみとることができました。これからは、父とのたくさんの思い出を忘れず、母を支えていきたいと思います。がんになった父は誰よりも苦しかったと思いますが、最後の瞬間まで寄り添って過ごせたことに今はひたすら感謝してます。関わってくださったすべての方へ。(癌の父を見送った娘、59歳)
13、私は、乳がんと診断されたとき、腎臓にも黒い影があると言われました。そのため、泌尿器科を受診し、乳がんの手術後、別日に腎臓の腫瘍を取る手術が計画されました。私は、腎臓の腫瘍がなかったら、乳房部分切除と放射線療法を選択していたかもしれません。しかし、後に腎臓の腫瘍を取る手術を控えていたので、放射線療法のない乳房全摘術を選択しました。
結局、腎臓の腫瘍は、非常に稀な胚細胞腫瘍の良性奇形腫でした。よって、腎臓の腫瘍は、私に乳房全摘を指示してくれた本当に良い腫瘍だったなと1年経って思います!(やっこ、50代)
14、私は今月、約1年半ぶりに生理が来ました。乳がん再発予防薬(ホルモン剤)の副作用で無月経になっていました。私は1年以上生理がないので、閉経したと思っていたけど、ホルモンバランスの採血の結果、閉経はしていませんでした。約1年半ぶりの生理は、ヘモグロビンが12から9に下がるほど大量出血でした。あまりの出血に非常に驚きました。次の生理は、いつ来るかわかりません。乳がんの治療をしていてもいろんなことがあります。(やっこ、50代)
記者雑感 正しい理解を深め備えを
医療の進歩に伴い、がんと共存しながら日常の生活を送る患者が増えました。がんになっても自分らしく生き続けようとすることを目指す社会のいまを伝えようと、本紙くらし面の連載企画「がんになっても」を4月にスタートしました。
企画では治療しながら社会の中で生きる患者の思い、最新治療やがん検診、がん医療の地域格差を取り上げてきました。今回寄せられたコメントでも置かれた状況はさまざまでしたが、悩みながらも一日一日を大切に生きている姿が伝わってきました。
生きていれば誰もががんになり得る時代。がんになっても変わらず生きていかなければならない日常があります。家族や職場でがんになる人も現れます。仕事や生活はどうしたらいいのか。長期の治療で金銭面の問題も生じます。まずはがんへの正しい理解を深め、家族や同僚と語り合ったり、万が一を考えた備えをしたりすることが大切だと感じました。 (担当記者)
次回テーマ 細る生活交通、どう考える?
次回のテーマは「細る生活交通、どう考える?」です。島根県内では深刻なドライバー不足を背景に、路線バスの減便や廃止が相次ぎました。タクシー業界も同様に人手不足で、鉄道ではJR木次線の廃線が不安視されています。こうした現状をどう考えますか? 暮らしを支える交通手段をどうやって守るのか、皆さんが考える手立てについても教えてください。
コメントをLINEで募ります。匿名でかまいませんが、できるだけ年齢(年代)、ペンネームを書いてください。来年1月7日に掲載します。