「医者の本能で、とにかく生かさなきゃと必死だった。裁判のためとか被害者のためとか考える余裕はなかった」
京都アニメーション放火殺人事件で逮捕、起訴された青葉真司被告の熱傷治療に当たり、現在は鳥取大医学部付属病院救命救急センター(米子市西町)の上田敬博教授が言葉を続けた。
重篤な救急患者を24時間体制で受け入れる救命救急センター。事件当時、上田教授は南河内医療圏で唯一の機能を持ち、災害拠点病院でもある近畿大病院救命救急センター(大阪府大阪狭山市)に勤務。「救命医療に欠かせないのはチーム医療」と断言し、スタッフの技術向上や密なコミュニケーションが取れる環境づくりに傾注していた。
実は事件発生2カ月前の2019年5月、上田教授は鳥取大病院の原田省病院長から入局の誘いを受けていた。上田教授は問うた。「僕と心中する覚悟で変革に挑んでもらえますか」。原田病院長は力強くうなずいた。
その直後に起きた凄惨(せいさん)な事件。青葉被告を治療しながら、合間を縫ってひそかに鳥取大病院へ出向いた。半年をかけて行った5回の視察から、懸命な仕事ぶりや、学びたいという欲求をスタッフから感じた。「ここは伸びる。世界と競争できる救命医療の構築を目指そう」。上田教授は決断した。
就任後まさにチーム医療で成功させた症例がある。今年4月、皮下組織までに至る3度熱傷を全身の95%に受傷した50代の男性患者の救命に成功した。青葉被告よりも損傷範囲は広い上、年齢も高く、国内では例のない救命例となった。「成功体験が増えたことで、職員のプライドが育っている」と上田教授は手応えを感じる。
鳥取大病院赴任から1年がたった。青葉被告の主治医だった上田教授の元には今でも、事件の真相の糸口を求めて多くのメディアが取材に訪れる。
将来の夢を無残に奪われた被害者、かけがえのない人を奪われた遺族、心身に大きな傷を負った被害者…。事件の真相解明に迫る初公判の日程は未定だ。
「なんで火を付けたのか、直接彼の口から聞きたいですね」。上田教授は取材の最後につぶやいた。
(米子総局報道部・坂本彩子)