政界引退を表明し、花束を手に自民党関係者と言葉を交わす平林鴻三氏(左)=2003年11月10日、鳥取市内
政界引退を表明し、花束を手に自民党関係者と言葉を交わす平林鴻三氏(左)=2003年11月10日、鳥取市内

 「出ろと言われれば出るし、辞めろと言われれば辞める」。自民党総裁選で再選を果たした小泉純一郎首相が衆院解散に踏み切った2003年秋。鳥取県知事を3期9年務め、国政へ転じていた平林鴻三元郵政相は衆院選を控え、議員バッジに固執する姿勢を見せなかったという▼当時72歳。党の規約による比例区の定年73歳には達していないものの、当選が確実視される中国ブロック上位に位置付ける「純粋比例の名簿登載は原則2回」は既に満了。結局、比例名簿21位で当選を逃し「これからの人生、ゆるりと過ごしたい」と穏やかな表情を浮かべた。泰然自若とした人柄を表したエピソードだ▼知事時代の1980年、中海の県境設定で島根県と主張をぶつけ合った。鳥取県側の担当は当時地方課長を務めていた片山善博前知事。「平林知事からは『後世に責任を持てる県境に』『島根県との間にしこりを残さないように』と命じられていた」と本紙1面コラム「羅針盤」(2019年10月27日付)に記していた▼そんな気配りの人が93歳で亡くなった。「厳しい県財政を切り盛りし、その後の県政の礎を築かれた功績は賛辞にあまりある」という平井伸治知事の言葉は大げさではない▼訃報が伝わったきのう、自民党が派閥の政治資金パーティー裏金事件を巡り関係議員を処分した。「記憶にない」と繰り返す後輩たちの姿を古老はどう見ていただろう。(健)