単純作業である「ナンバリング」という動作。一つ一つの物や事柄に通しで番号を打つことである。その所作自体は何ということはない。だが、続けてみると、実に興味深い。
印刷物や商品のパッケージに刻印されたナンバーに、しみじみとした気持ちになることがある。スポーツで記録を打ち立てる人、連載小説を書く人や電化製品を組み立てる人、数字の裏にある関係者のさまざまな苦労を思う。
本紙1面で2015年11月1日から続く『慈しみの心』も先月、「No・3000」の文字を打つことができた。仏教学の世界的権威である松江市出身の中村元博士(1912~99年)の業績を受け継ぐ前田專學氏に始まり、中村元東方研究所専任研究員の服部育郎氏につながる4人の筆者と、毎日読んだり切り抜いたりしてくださる読者あってのこと。
「三千」は数学的には千の3倍だが、仏教の世界観では千の3乗、すなわち10億を表す、と『広辞苑』に記されている。つまり、われわれが住む世界の全体、あるいは一人の仏が教化する範囲を指すという。膨大で想像がつかないが、それだけ暮らしの中で教えられることが多かったということであり、味わい深い数字だ。
本欄にある、きょうの言葉「身は是(こ)れ我(が)ならずと知らば…」は、服部氏の解説をよく読んでみると、まさに昨今の政治資金の〝裏金化〟をいさめるのにうってつけの言葉かもしれない。(万)