ちまたで批判されているように原爆被害の直接的な描写はなく、言及もごくわずか。上映中のスクリーンとは別に、きのこ雲の映像が頭に浮かび、爆弾一つで奪われたはかない命を思うと、悔しくて悲しくて泣きたくなった。ただ米アカデミー賞で7冠の映画『オッペンハイマー』の主人公に特別な感情が湧く。
ガリレオ・ガリレイは「近代科学の父」、スチーブンソンは「鉄道の父」と称賛される。近代科学も、人員・物資の大量輸送を可能にした鉄道も戦争を悲惨にしたが、物理学者オッペンハイマーに付いた「原爆の父」の称号はいかに。心血を注いだ研究の集大成が人類の幸福とは正反対の大量殺りく兵器の開発とあっては、まともな精神状態でいる方が難しいと想像する。
広島への原爆投下が知らされた時、オッペンハイマーは研究所の職員を集め、ボクシングの勝者のように振る舞ったと伝わる。一方で「科学者は罪を知った」という暗く重い言葉も残した。
火を使う。農耕を始める。人類史にいくつか、後戻りできない変わり目がある。核も、核以前から核以後へ壁を越えてしまった。
建設で171人が殉職した難工事で知られる水力発電の黒部ダム(富山県)は最大出力33・7万キロワット。松江市鹿島町片句の島根原発2号機は出力82万キロワット、建設中の3号機は137・3万キロワットと圧倒する。現代の利便性は罪深い開発の歴史の上に成り立っている。(板)