人が心で語ろうとしていることを頭で聞いちゃいないか。人が言い得ないことを語ろうとしているとき、我々は言葉でまとめてはいないか-。4月に東京であった水俣病記念講演会。批評家の若松英輔さんの一言一言が胸に刺さった。
「水俣病事件を語り継ぐ」がテーマ。熊本県水俣市で豊饒(ほうじょう)の海と生きていた人々が、工場が垂れ流す有機水銀で汚染された魚を食べ、発病。地元の主婦だった故石牟礼道子さんは、水俣の全ての生き物の苦しみと尊さを著書『苦海浄土』で描いた。
若松さんは何度読んでも「お前の今の状態じゃ(理解は)難しいと突き返された」という。知識を得ようと言葉を追ったに過ぎないからだと、後に気付いた。作品に宿る言葉たり得ないものを読まないと駄目なんだ、と。
そして情報や知識があふれる今、生成人工知能(AI)を例に頭でっかちに物を読み、語り、書くことへの警鐘を鳴らす。「AIは便利だけど言葉になるものしか受け止めない。声にならない哀(かな)しみ、語り得ない物語、言わなかった嘆きなんてものは彼らにはない。我々に今、託されているのはそういうことだ」
1日、水俣市で環境相と懇談した水俣病の患者団体の発言が、持ち時間の3分を超えると「まとめてください」と環境省の職員に遮られマイクを切られた。規則も効率的な運営も大事だが、彼らは耳ですら患者の声を聞いていなかったのかもしれない。(衣)