生きていると、多くの人が避けられない「介護」の問題。皆さんは、日頃からどのように向き合っていますか。介護をしている人や、お世話になっている人…。それぞれの声を紹介します。(内容の一部や、漢字、仮名遣いは、編集・要約しています)
◆ダブルケアの日々
私は、7年前まで5年間、ダブルケアをしていました。育児と介護、さらに仕事もしていました。仕事の後、介護をしてからPTAの会に行ったり、夜、娘の小学校入学前のクラス発表を見に行ったりしたことを思い出しました。休日の午前にケアマネさんと会議をして、午後、小学校の学習公開に参加したことも何度かありました!(やっこ 50代)
◆セルフチェックを大切に
87歳の母の介護を中断しています。昨年7月末に乳がんが見つかり、治療中です。母は週半ばの2泊3日を娘の私夫婦と過ごしていましたが、今は通所と訪問介護サービスを利用しています。
同居の弟家族は働いているため、不在の時は89歳の父が「老老介護」をしています。時々訪問して父母の様子をみますが、この1年余りで心身機能が低下し軽度認知症とわがままが進んだ母、その母を介護する父は疲れています。
自分のため、家族のためにも、自身の身体と健康を大切にしないといけないです。検診や健診は必ず、できれば人間ドックを受けたほうが良いです。
忙しい、時間がないからと自分のことを後回しでは後悔します。女性の方、月1回の乳房セルフチェックしてください。家族も大切ですが、自身を大切にしてください。治療が落ちついたらできるだけ早く介護を再開したいと思います。(もんぺ、60代)
◆現実の厳しさを痛感
障害者になった妻を在宅介護しています。家事の全て、日常的な介助の全てを不器用ながらもやっています。生きてくれているだけでも良かった、介護できるだけ幸せだと思っていました。しかし、それはきれいごとで、現実の厳しさを痛感しています。月日を重ねた現在では精神的に、また経済的にもぎりぎり…。自暴自棄になってはいけないと心に言い聞かせ、かろうじて踏ん張っています。
先の見えないこの苦しみはいつまで続くのでしょうか。こんなコメントを書く弱い自分が自分で嫌になります。(匿名、50代)
◆いつまでも元気で
義母はことし、90歳になる。今のところ元気で毎日デイサービスに通っている。しかし、介護が必要になった時は、妻(娘)が面倒をみることになるのだろう。
妻は64歳で会社勤めをしているが、義母の介護をするようになれば当然仕事はできなくなる。私も働きながら年金を受給している。義母の介護が必要になれば、いったいどの程度のお金がかかるのか分からないのが不安である。私も70歳に近くなり、いつまで働けるのか分からない。やはり金銭面が最も不安である。
義母は「100歳までは生きるけえ」と豪語している。いつまでも元気で自身のことが人手を必要としない生活が続けられることを祈っている。(ちあき、68歳)
◆助かった介護休暇
実母がデイサービスに通うようになった2カ月後に自宅で圧迫骨折し、約3カ月の入院生活後、身の回りのことができなくなりました。母の介護を始めて4年目に入りました。
1人暮らしで頑張っていましたが、骨折し、退院してからはデイサービスを利用させてもらい、私は仕事しながらの介護。実家と家とを行き来していましたがだんだんと母の物忘れがひどくなり、そばにいないと通帳の管理とか、地区のこともできなくなり、全て私に任されてしまうことになりました。
この夏の猛暑で母も体調不良になった日もあり、職場の計らいで介護休暇を取らせてもらい、ショートスティも利用して私も何とか仕事をしながら介護を頑張っています。
今、休暇が取れることで介護者も心と体を休ませることができることに気付かされました。高齢化で介護スタッフも人員不足のようですが、母をいつも送迎しお世話してくださるスタッフの方々には頭の下がる思いです。また母の担当のケアマネさんと相談しながら、これからもできる範囲の介護を頑張っていこうと思っています。(さなこ、60代)
★諦めも大切
私はうん十年、介護の仕事をしています。現在も少しずつですが続けています。そして、90代前半の義母と暮らしています。介護は嫁しゅうとめの関係の延長であり、24時間、気が休まりません。仕事としていた時のように、理想や目標などとはかけ離れ、感情をいかに抑えて接するか、諦める事も大切です。家族介護の難しさに日々、悩まされる毎日です。(さくら、70歳)
★恩おくり
一口に介護といっても人によって、場合によってそのえらさ、大変さはさまざまだ。私の場合は子どもたちの支え、プロの介護の方々のおかげで日々、明るく過ごしている。
戦後のベビーブーム世代の自分たちは、長男は親と同居、面倒を見るのは当たり前。その嫁は、しゅうとやしゅうとめの介護は当然という時代。幸い私はその苦労はしなかったが、今は夫の介護で、老老介護の日々。
あの時代は「男子厨房に入らず」だったから女の私が介護する側で良かった。そして自分はピンピンコロリを願っているけれど、こればっかりは神のみぞ知るだから祈るしかない。
子どもたちとは別居、そして干渉しないのが今時の暗黙のルール。それが気まずい思いをしなくてすむ場合も多々あるから、それで良いと思っている。人生の最後の締めくくりをしてくれる子どもたちがいてくれる安心はある。別々に暮らしてはいても、血のつながりは心強い。人類のバトンタッチが果たせるのが何よりもうれしい。親からの思いを子どもや孫に送りたい。「恩おくり」と言うそうな。(あした咲く花、79歳)
★求む!ごみ出しの助っ人
今年の1月、庭でころんで、骨折はしなかったが階段も、坂も、歩けなくなった。平地は歩けるので家の中での生活はどうにかできた。しかし、1人暮らしで毎日出る生活ごみを地域のごみ収集箱に持っていけない、用事で来た人に持って行ってもらっていた。
だれも来ない時はごみ袋が何袋にもなる。とうとう市の福祉協議会に電話して、どなたか週2回、ごみ出しをしてくれる人を探してほしいとお願いした。
でも、1度お会いしてお話をせねば、とか、お金がかかりますよといって、さっさと話が決まらない。
そうこうしているうちに私は小さい会社を(経営)しているのだが、社員たちが私が困っているのに気付き、手伝いに来てくれることになった。
私は思った。困った老人がいれば最低限度、買い物やごみ出しを手伝ってくれるような人が地域にいればと思う。何か言うとすぐヘルパーの資格がどうのこうのと言うけれど、そんなことより、困った老人に手を貸すことを考えるのが先ではないだろうか。これは私の勝手な考えなのかな。(ドルチェ、77歳)
★他人がみる方が…
2年ほど家で母を介護しました。母は最初は杖をついて歩けましたが、1年後にはハイハイになりました。その頃から大小とも排出したことがわからなくなり、オムツが手放せなくなりました。家族と一緒に食事をしたいとねだる母を何とか説得し、食事は母の部屋に運ぶようにしました。それでも少し皆がテレビなど見ている茶の間などに現れると、当時中学生だった息子たちが臭いと文句たらたら。これらも、たまには仕方ないだろう、と頑張って説得。自分での移動が困難になったら相談して施設に入ってもらいました。私は息子として罪悪感に悩みましたが、施設の方に私たち他人がみる方が絶対いいからと言われ、心のモヤモヤが晴れました。(良夫賢父、60代)
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