生きていると、多くの人が避けられない「介護」の問題。皆さんは、日頃からどのように向き合っていますか。介護をしている人や、お世話になっている人…。それぞれの声を紹介します。(内容の一部や、漢字、仮名遣いは、編集・要約しています。山陰中央新報デジタルでは投稿の詳細や他の投稿も掲載しています)
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◆いつまでも元気で
義母はことし、90歳になる。今のところ、元気で毎日デイサービスに通っている。しかし、介護が必要になった時は、妻(娘)が面倒をみることになるのだろう。
妻は64歳で会社勤めをしているが、義母の介護をするようになれば、当然仕事はできなくなる。私も、働きながら年金を受給している。義母の介護が必要になれば、いったいどの程度のお金がかかるのか分からないのが不安だ。私も70歳に近くなり、いつまで働けるのか分からない。
義母は「100歳までは生きるけえ」と豪語している。いつまでも元気で、自身のことが人手を必要としない生活が続けられることを祈っている。(ちあき、68歳)
◆セルフチェックを大切に
87歳の母の介護を中断しています。昨年7月末に乳がんが見つかり、治療中です。母は、週半ばの2泊3日を私夫婦と過ごしていましたが、今は通所と訪問介護サービスを利用しています。
同居の弟家族は働いているため、不在の時は89歳の父が「老老介護」をしています。時々訪問して父母の様子をみますが、この1年余りで心身機能が低下し軽度の認知症とわがままが進んだ母。介護する父は疲れています。
自分のため、家族のためにも、自身の体と健康を大切にしないといけないです。検診や健診は必ず、できれば人間ドックを受けたほうが良いです。
忙しい、時間がないからと自分のことを後回しでは後悔します。女性の方、月1回の乳房セルフチェックしてください。家族も大切ですが、自身を大切にしてください。治療が落ちついたらできるだけ早く介護を再開したいと思います。 (もんぺ、60代)
◆現実の厳しさ痛感
障害者になった妻を、在宅介護しています。家事の全て、日常的な介助の全てを不器用ながらもやっています。生きてくれているだけでも良かった、介護できるだけ幸せだと思っていました。しかし、それはきれいごとで、現実の厳しさを痛感しています。
月日を重ねた現在では精神的に、また経済的にもぎりぎり…。自暴自棄になってはいけないと、心に言い聞かせてかろうじて踏ん張っています。
先の見えないこの苦しみはいつまで続くんでしょうか。こんなコメントを書く弱い自分が自分で嫌になります。(匿名、50代)
★恩おくり
戦後のベビーブーム世代の自分たちは、長男は親と同居、面倒を見るのは当たり前。その嫁は、しゅうとやしゅうとめの介護は当然という時代。幸い私はその苦労はしなかったが、今は夫の介護で、老老介護の日々。
かつては「男子厨房(ちゅうぼう)に入らず」だったから、女の私が介護する側で良かった。自分はピンピンコロリを願っているけれど、こればかりは神のみぞ知る、だから祈るしかない。
子どもたちとは別居、そして干渉しないのが今時の暗黙のルール。それが気まずい思いをしなくて済む場合も多々あるから、それで良いと思っている。別々に暮らしてはいても、血のつながりは心強い。人類のバトンタッチが果たせるのが何よりもうれしい。親からの思いを子どもや孫に送りたい。「恩おくり」と言うそうな。(あした咲く花、79歳)