
#(上)国語教師として気づいた指導法
#(下)夏ベスト8、旋風の手応え
甲子園で母校の大社高校野球部の快進撃を導いた石飛文太(43)は「自分はエリートやスターではない」と繰り返す。
地元・出雲市湖陵町の湖陵スポーツ少年団で野球を始めた小学3年から野球漬けの毎日だった。小学5年時、同校が夏の甲子園に出場し、地元の先輩がメンバーにいたことで憧れを持った。湖陵中学校を経て、大社高校野球部に入部した。

当時の坂本秀樹監督の下、甲子園を目指した。3年時に身長166センチ、体重54キロと決して体格に恵まれてはいなかったが、必死に白球を追いかけ、3年夏には背番号4を背負ってベンチに入った。
3年時の夏の島根大会はチームが準々決勝に勝ち進んだ。江の川(現石見智翠館)との準々決勝は相手にリードされる展開。先発から外れ、ランナーコーチャーで「このままだと負けるぞ!」「俺を出せ!」と叫んだのを覚えている。

結局、準々決勝の試合には出ることなく夏が終わった。根っからの負けず嫌いな上、試合にも出られなかったため、余計に悔しかった。...