長い大相撲史の中でも信じられない道のりを歩んだ横綱が誕生する。両膝のけがや内臓疾患の影響で大関から序二段まで転落した照ノ富士。「今日の相撲で最後かもしれない。その思いでやっている」。挫折から土俵人生を見つめ直し、大きな夢を手中にした。
新大関昇進は23歳だった6年前。破竹の勢いとスケールの大きさで横綱候補として注目が集まった。自身が一番、その気だった。「俺が横綱にならんかったら誰がなるんや」と奔放な性格そのままに自信満々。朝まで酒を飲み歩いても平気で稽古場に向かった。
自信は過信になり、体が悲鳴を上げた。力強さは消え、どんどん番付が落ちる。みじめだった。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に引退を直訴しても認めてくれない。「どうしたらやめさせてくれるのかな」と頭を抱えた。
絶望の淵からよみがえらせたのは力士であることの尊さだ。付け人として支えた元幕下駿馬の中板秀二さんは引退の際、自らのさがりを照ノ富士の明け荷に入れた。中板さんは「力士であれば横綱を目指せる。照関はもう一度努力すれば、それができる力を持っている」と願いを託した。
周囲の思いを胸に照ノ富士は心を入れ替えた。酒はやめた。皿洗いなど部屋の雑務とも向き合った。伊勢ケ浜部屋のパーティーでは会場に入らず、受付に立ち続けた。「今の自分が入ったら失礼ですから」と、すっきりした表情だった。
序二段で復帰した2019年春場所から2年半。横綱へ突き進んだ今場所は就寝前に「一日一番。次の一日に精いっぱいできることをやる」と言い続けたという。横綱になれば三つぞろいの化粧まわしを新調するため、大関までのものは着用できない。照ノ富士は感謝と横綱への意志を込め、15日間全て違う化粧まわしで土俵入りに臨んだ。最高位に必要な「心」が備わり、純白の綱を締める。