負けず嫌いの性格は変わらない。6月の日本選手権に続きまたも、自身の日本記録を更新した陸上男子3000メートル障害の三浦龍司(19)=順大、浜田東中-京都・洛南高=が、陸上トラック競技の個人種目としては1928年アムステルダム大会女子800メートルの人見絹枝以来となるメダルを射程圏内に捉えた。古里の浜田市からエールを送る同級生は「龍司らしい走りを見せてほしい」と運命の決勝も見守る。 (勝部浩文)
少年時代の負けん気の逸話には事欠かない。
浜田陸上教室の一員として小学生の時から切磋琢磨(せっさたくま)した会社員、植田朝陽さん(19)=浜田市下府町=が印象に残るのが、中学1年の時から3年続いた「シャトルラン」(往復持久走)。20メートルの距離を往復し、回数を測る体力測定で、100回超で十分好成績だったが、三浦は毎年ダントツの160回まで続け、授業時間の都合で強制終了させられていた。
自転車で転倒し、左手を骨折した時は、県内の陸上大会にギプス姿で出場したこともあった。それでも最後まで走り切り、優勝をさらっていったという。6月の日本選手権で、水濠(ごう)で足を滑らせて転倒しながらもラストスパートで駆け抜けた原点は、浜田で積み重ねた諦めないレースの数々にあった。
三浦を知る友人たちは30日の予選通過後、録画放送をあらためて視聴。最後の直線で予選突破が見えて流してもいい場面でも、あくまでトップにこだわるように駆け抜ける姿に、浜田市国分町の専門学校生、佐々木優人さん(19)は「龍司っぽい」と笑みを見せた。
自ら目標を定め、自主練習に打ち込む姿勢に同級生の誰もが「走ることが大好きで、とにかくストイックだった」と認める。
片や、活躍ぶりを自分から語ることはなかったという。五輪出場が内定した日本選手権のレース後も、本人を交えたSNS(会員制交流サイト)のグループトークには「みんなー応援ありがとう!」と、昔と変わらず気取らない返信が届いた。
8月2日の決勝は、同種目では日本人初のメダル獲得の期待がかかる。同級生でつくるSNSには、あらためて「頑張れ龍司」といった投稿が相次ぐ。友を誇らしく思う「いいね」の声であふれている。