昨年11月、元出雲市長の西尾理弘さんの訃報に接した。享年83。面識があるとは言えないが、20年以上前に一度お会いしたことがある。それもサッカーのことで。

 2001年の1月だったと記憶している。当時勤めていた東京都内の週刊サッカーマガジン編集部に突然、電話がかかってきた。

 「ワールドカップ(W杯)のキャンプ地誘致の件で西尾市長が石倉さんに会いたいと言っている。都内に行く用事があり、その後に編集部まで出向くので、ぜひ話を聞かせてほしい」

サッカーの日韓W杯でアイルランドチームのキャンプ地となり、機運盛り上げのためにチームユニホームを着てジョギングする西尾理弘さん=2002年4月18日、出雲市内


 当時の出雲市スポーツ振興課課長、曽田俊彦さんからの申し出だった。キャンプ地誘致に関する取材をしていたとはいえ、さして情報を持っているわけでもなかったが、断るのも失礼だと思って引き受けることにした。

 当時の日本サッカー界は、2002年に韓国と共同で初開催するW杯への準備が進められていた。日本代表チームの強化や、国内の開催10都市(札幌、宮城、茨城、埼玉、横浜、静岡、新潟、大阪、神戸、大分)の準備状況などと並んで話題となっていたのが、各自治体によるキャンプ地の誘致合戦だった。

曽田俊彦さん

 出場国が大会前や大会...