前回の大阪万博の会場。中央は太陽の塔=1970年3月14日、大阪府吹田市
前回の大阪万博の会場。中央は太陽の塔=1970年3月14日、大阪府吹田市

 1970年、小学5年の夏休みに大阪の親戚宅から5日間、大阪万博に通った。あれから55年、押し入れで埃(ほこり)まみれになっていたパンフレットを広げてみると、「人類の進歩と調和」を掲げた万博の夢がよみがえった。

 岡本太郎の「太陽の塔」やアポロが持ち帰った「月の石」には行列の印象しかないが、初めて食べたアメリカンドッグとフライドチキンの記憶は鮮明だ。子どもにとって夢のようなファストフード時代の幕開けだった。

 ソ連(現在のロシア)館でもボルシチのうまさに驚き、建築美に圧倒されたが、展示は社会主義と独裁者の礼賛、宇宙や極東進出の野心が主で、今も変わらぬ超大国の夢を追う内容。一方、EC(ヨーロッパ共同体)館は、当時6カ国のこぢんまりとした出展だった。

 今はEU(欧州連合)となり27カ国が加盟。世界大戦を乗り越え一つの共同市場を目指した経済統合の夢は、難民問題や英国離脱を割り引いても辛うじて実現した。こういうのは人類の進歩といって良いのだろう。

 動く歩道が話題を集めた三菱未来館のテーマは「50年後の日本」。家事や仕事は機械に任せ、1日4時間勤務の豊かな生活、がんを克服し交通事故以外は手術がなくなる-と、未来予想図を描いた。実現したのは動く歩道だけだった。さて今回の万博で世界は、未来をどう描くのだろう。夢の発表会で終わるなら、大騒ぎして開く意味は薄くなる。(裕)