「この世界の片隅に」下巻より((c)こうの史代)
「この世界の片隅に」下巻より((c)こうの史代)
こうのさんが描いた落書き
こうのさんが描いた落書き
すずさんの家(こうの史代さんの祖父母の家跡)でイノシシよけの落書きをするこうのさん=広島県内
すずさんの家(こうの史代さんの祖父母の家跡)でイノシシよけの落書きをするこうのさん=広島県内
「この世界の片隅に」下巻より((c)こうの史代)
こうのさんが描いた落書き
すずさんの家(こうの史代さんの祖父母の家跡)でイノシシよけの落書きをするこうのさん=広島県内

 わたしは伝記で宮沢賢治を知り、その後作品を読み、深く影響を受けました。

 宮沢賢治にならってわたしも、作品は自分の子どものように思ってきました。

 作品はもちろん人間ではありませんが、それでも人との関わりの中で成長し、わたしにいくつも人間的な親心を教えてくれました。

 賞をもらったり映像化したりすると「あなたはこの作品には、特に思い入れが強いでしょうね」と時々言われます。しかし、これが売れたから特にかわいい、ということはありません。どんな作品も、主題に沿って力を尽くしたことに変わりはなく、人気の有る無しはただ主題の人気が反映されただけにすぎません。

 また、心無い人にけなされてハラが立っても、子どものけんかに親が立ち入れば余計こじれることも知りました。

 デビューして10年目に『夕凪(ゆうなぎ)の街』を描いて以降は、それぞれの作品の内容よりも、「あれの作者だから」という理由で雑誌に載り、単行本化されるようになりました。いわば優秀な「姉」の七光でコネ入学、コネ入社です。楽勝人生か!?と思いきや、その「姉」に少しでも似ていないと余計に風当たりが強く、別の苦労を負わせることになりました。

 このたび加納美術館にて原画を展示していただく『この世界の片隅に』もまさにそういう作品でした。主題が近かったこともあり、あの『夕凪の街』の主人公はいつ出てくるの、お涙頂戴になれば売れるのに、という周りの強い重圧はひしひし感じましたが、わたしが鈍重で不器用だったおかげで、流されずにその魂を守ってやれました。

 わたしはなるべく宮沢賢治を作品に引用しないようにしてきました。「賢治」「賢治さん」と親しく呼ぶことにもためらいがあります。それは、あまりに深く愛しすぎて、心ではすっかり身内になってしまった彼の七光に乗っかるようで気が引けていたからだと気づきました。

 この通り「力を尽くした」「流されずに守ってやれた」などと書いていますが、まあ、わたしは理想が低いのか自分に甘いのか、あるいはまだ形になっていない目の前のわが子のことで頭がいっぱいで深く反省していないせいだろうと思います。

 皆さまも、どこかでわたしの作品に出会ったら、お友達のように思っていただけるとうれしいです。 

 (こうの史代、漫画家)

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 「こうの史代『この世界の片隅に』原画展」は11日から12月23日まで安来市広瀬町布部の市加納美術館で開催。