京都の「都大路」を舞台にした全国高校駅伝を初めて取材したのが1992年の冬だった。担当した男子の由良育英(現鳥取中央育英)は地区予選で当時日本歴代6位の2時間5分47秒をマーク。持ちタイム全国トップで優勝候補に挙げられた。
79年に同校を全国準優勝に導き、名将と呼ばれた横山隆義監督が3年計画で育てたチーム。都大路では2時間5分33秒までタイムを縮めてゴールした。それでも西脇工(兵庫)に競り負け2位。レース後、監督は「満点のレースをしてくれた」と選手をねぎらいつつ「なかなか勝たしてもらえん」と悔しさを募らせた。
口癖は「前半飛ばして、中盤飛ばして、ラストスパート」。豪放磊落(らいらく)で乗せ上手。選手は暗示にかけられたかのように記録を伸ばした。選手の特性を見抜き、大会では最適な戦術を授けていた。
最後に言葉を交わしたのが2002年夏、高知国体の水球会場。指導現場を離れ、鳥取県スポーツセンター所長として激励に回っていた。「久しぶりだな」と両手で握手を求められたので「まるで選挙に出るようですね」と返すと、にやりと笑った。県議選出馬の一報が届いたのはその5日後だった。
今年の都大路を前に名将が81歳で旅立った。昨年全国準優勝の大牟田(福岡)の選手が集団転校し、33年前から残る2時間5分33秒の県記録を破った鳥取城北をどう見ていたのだろう。一度聞いてみたかった。(健)













