人魚の肉を食べた女性が800歳まで生きたー。9月21日付の山陰中央新報にびっくりするような記事が掲載された。「800歳まで生きた」は「八百比丘尼(はっぴゃくびくに)伝説」と言われ、口承文芸研究に取り組む元鳥取短期大教授の酒井董美さん(86)によると、山陰両県を含む全国27都府県で伝承が確認され「人魚には長寿のパワーが秘められていると信じられたのだろう」という。民衆の言い伝えによって現代に残る民話や伝説は地域によって特色があり、自然現象や地域の神様、教訓を題材にしたさまざまな話が全国各地に伝わっているという。
山陰両県には神話「因幡の白兎(ウサギ)」や、小泉八雲が民話を怪談にした「飴(あめ)を買う女」などたくさんの伝承が残る。山陰両県を舞台にした民話について、もっと知りたいと思い酒井さんを訪ねた。(Sデジ編集部・吉野仁士)
酒井さんは中学、高校の教師として33年間勤務し、その後、島根大法文学部や鳥取短期大国際文化学科の教授を務め、日本文化や口承文芸に研究を続け、学生に伝えた。鳥取短期大教授を2006年3月に退任後、山陰両県の民話サークルの顧問として、語り部グループの育成に努めている。
酒井さんが、民話に関心を持ったのは三隅中学校(浜田市三隅町古市場)の教師だった25歳の時。たまたま読んだ本で出雲地方の民話を知り、「昔の人々の暮らしぶりがわかり面白い」とのめり込んだ。
同時に「自分がいる石見地方にも面白い民話があるはず」と思い立った。テープレコーダーを手に地域の高齢者たちの話やわらべ歌を録音して回るのが趣味になり、テープは1万本にもなった。民話に関する研究を続け、50冊以上の本を出版している。

▼権力への反抗を示した「美人塚」
酒井さんは「民話にはさまざまな要素が含まれる。庶民の哀歓、権力への反抗、地域の神様への信仰。どの要素が含まれた話なのかを意識して聞くと、より楽しめるかもしれない」と、民話の楽しみ方をアドバイスした。
小説のジャンル分けのようなものなのか。民話にも「SF系」「感動もの」といった区分があるようだ。まずは松江市東出雲町に伝わる「美人塚」の話を紹介してもらった。
室町時代の頃、旧八束郡意東村に1人の娘が生まれた。娘は成長するにつれて輝くような美しさになり、村一番の美人ともてはやされた。
やがて年頃になった娘は近場から婿を迎え、幸せに暮らしていた。しかし片田舎の貧しい農家のため、夫は野良仕事、娘は家で針仕事をしなければならず、常に一緒にいるわけにはいかない。夫は地元の絵師に娘の絵を描かせ、野良仕事の時に絵を手元に置くことで仕事に精を出していた。
ある日、いつものように野良仕事をしていると西から強い風が吹き、絵が空に舞い上がって飛んでいってしまった。数日後、絵は東方の将軍家(京都)の庭に落ち、絵を見た将軍が「西国にこの絵の美人がいるはずだ。連れてこい」と部下に命じた。部下は村まで来て娘を探し当て、将軍の元へ連れ帰ってしまった。
夫は泣き暮れたが、うわさで「端午の節句の日だけショウブ売りが将軍家に入れる」と聞き、ショウブの花を持って歩いて京都まで行った。結局、着いた日には端午の節句を過ぎていたため家に入れなかったが、堀の外から「ショウブや~ショウブ」と声を上げたことで家の中にいた娘が夫に気付き、こっそり外に出て2人は会うことができた。
夜になってから2人は再び外で落ち合い、村まで逃げ帰った。しかし、故郷の景色が見えたところで緊張の糸が切れたのか、娘は息絶えてしまい、夫は泣く泣く娘を故郷の地に葬った。墓は「美人塚」として今も残っているー。

権力の乱用に対する怒りと、犠牲になった庶民の悲しみが伝わってくる話だ。酒井さんが話す「権力への反抗」と「庶民の哀歓」がともに含まれ、地域には話のモデルの墓も残っている、代表的な民話と言える。
美人が不幸な運命をたどる話は多く見かける。「美人薄命」という言葉があるように、美しさが、一瞬のうちに消えていくことを惜しんだ庶民の心がしのばれる。
▼庶民の願望?「吉祥姫」
続いては、出雲市塩冶町に伝わる「吉祥姫」の話。
遠い昔のこと。天皇の夢の中に神様が現れ、「この絵にそっくりでこの靴が足にぴったり合う娘を見つけなさい。必ず立派なきさきになる」と話した。目を覚ますと枕元に、美女が描かれた巻物と一足の靴が置かれていた。
天皇はすぐに巻物と靴を持って、大勢の家来とともに娘を探しに出掛けた。各地で大勢の娘を集めて顔を確認したが、巻物にそっくりな娘は見つからず、気付けば出雲の国に。同じように多くの娘を集めていると、1人だけ見向きもせずに田んぼで働く娘がいた。
家来がそばへ寄って話を聞くと、「病気の母のために働いており、田んぼを離れるわけにはいかない」。そう言って顔を上げた女性は、なんと巻物の美女にそっくり。家来から話を聞いた天皇がすぐに女性を呼んで靴を履かせると、ぴったりと合った。
喜んだ天皇は娘を母親と一緒に都へ連れ帰り、きさきとして迎え入れた。娘は「吉祥姫」という名前で幸せに暮らしたという。
これは、どこかで読んだ!? 貧乏な女性が玉のこしに乗り、靴が結婚の決め手になるという、海外の童話「シンデレラ」にそっくりだ。シンデレラに似た民話は世界中にあると聞くが、島根県にまであるとは知らなかった。
権力者がむちゃをしている点は美人塚と同じだが、こちらはハッピーエンド。酒井さんは「質素な生活の庶民に幸運が訪れる民話は多い。華やかな暮らしがしたいという願望が現れているのでは」と分析する。
出雲市所原町の王院山の山頂には石柱があり、天皇の死後に吉祥姫が帰郷した際に同行した貴人たちの墓だという説がある。

出雲地方に伝わる2話を聞いただけで、民話というものにがぜん興味が湧いてきた気がするが、いかがだろうか。<下>では石見地方と鳥取県の興味深い民話を紹介する。