うどん、そばの自動販売機を守る田中健一さん=益田市安富町、自販機コーナー オアシス
うどん、そばの自動販売機を守る田中健一さん=益田市安富町、自販機コーナー オアシス

 コロナ禍で、さまざまな自動販売機が存在感を発揮している。山陰両県では焼きいも、冷凍牛肉といった変わり種が目を引き、非接触の販売形態や人件費節約のメリットもあり、新手の導入が相次ぐ。そんな中1970年代の第1次ブームから、温かいうどんやそばを出す自販機の灯を守り続ける「自販機の神様」と呼ばれている男性が益田市にいる。 (鎌田剛)

益田は日本屈指の ″過密地帯″
 350円分の硬貨を投入し、30秒足らずで熱々の生麺と具材が入ったうどんやそば(一部ラーメン)が出る自販機は、70年代前半のマイカーブームに乗って国道沿いのドライブインや商店を中心に、全国で普及した。

国道沿いに向くうどん、そばの自販機=益田市安富町、自販機コーナー オアシス

自動販売機のうどん。具材は麺の下に入っている=益田市安富町、自販機コーナー オアシス

 今はめっきり数を減らしたが島根県内では出雲、浜田、益田の3市と川本、吉賀、津和野の3町で稼働している。特に益田は、国道沿いに5台以上もうどんやそば自販機が点在する日本屈指の”過密地帯”だ。

 同市安富町の「自販機コーナー オアシス」を経営し、島根県津和野町と山口県岩国市にも直営店を持つのが、西部技研(益田市高津5丁目)の代表、田中健一さん(72)だ。神様と呼ばれるゆえんはどこにあるのか。

うどん、そばの自動販売機を守る田中健一さん=益田市安富町、自販機コーナー オアシス

 津和野町日原出身。東京で、アイスクリーム用の冷凍庫や冷凍ショーケースなどの販売会社に就職した。

 職業柄、食品を扱う機械に興味があった田中さんは昭和40年代に兵庫県宝塚市内でカップヌードルの自販機が登場したと聞き、すぐ現地へ向かった。

 「ようけ人が来ていてびっくりした。これはすごいと思ったね」と商機を感じた。同時期に星崎電機(現ホシザキ)の噴水式ジュース自動販売機「オアシス」も世に出ていた。「冷たいジュースを吹き上げて機械の周りに水滴が付いていた。なんとも言えない印象だった」と話す。

「サインしてください」
 Uターンして益田の地元企業に就職した昭和50年代初頭はうどん・そば自販機の黎明(れいめい)期に重なり、新規事業として商店やドライブインに自販機を売り歩いた。

 81年に独立してオアシスの経営を始めた。最盛期には1日150食も出るほどだったが、現在は50食ほどに減った。

 「中国(横断)道や山陽道ができて、次にコンビニがやってきた」と道路事情の変化が売上を直撃した。

 コロナ禍になり、さらに売上は減ったというが、近年は新しい客層が現れ始めた。2014年にライター魚谷祐介さんの著作「日本懐かし自販機大全」(辰巳出版)と、動画投稿サイトのユーチューブで「自販機の神」と紹介され、昭和を懐かしむファンが遠方から訪れるようになった。特に年末年始にはよく売れるようになり、1日150食という昔の大台に乗ることもあるという。遠方から来た自販機ファンに「サインしてください」とせがまれることもあった。

お菓子の回転式自動販売機も人気がある=益田市安富町、自販機コーナー オアシス

 肝心の自販機は製造が打ち切られて久しい。部品は汎用(はんよう)品を転用するほか、固有の部品は独自に仕様を作り、下請けしてくれる会社に10個単位で発注して修理している。

「自販機は1人で…」
 「まだまだこれからも頑張るよ」という田中さんに長続きの秘訣(ひけつ)を聞くと、真っ先に「カップヌードル」「オアシス」自販機との出会いを挙げた。「これだ、と思って目に付けたことだ」と声を強める。

 「自販機は1人でできるからね。人を使わないのは気を遣わなくてええわ」と笑顔で自販機の扉を開けて装填作業を始めた。