祖父母から孫へ、親から子へと語り継がれてきた昔話「民話」が山陰両県には多く残る。山陰の民話の中から、大みそかやお正月の興味深い話しを口承文芸研究に取り組む民話研究者の酒井董美さん(86)に聞き、2回に分けて紹介する。(Sデジ編集部・吉野仁士)
大みそかや正月に関する民話は山陰の各地域で多く残る。酒井さんは「昔の山陰の冬は雪で外に出ることができず、屋内で話すことが数少ない娯楽だった。特に正月は1年の節目で、特別なことが起きると考えられた」と理由を語る。年末年始は昔から、特別な時期と思われていたようだ。

酒井さんは教員だった25歳の頃、たまたま読んだ本で出雲地方の民話に触れたことで研究を始め、60年以上になる。民話に関する本を50冊以上出版し、山陰両県の民話サークルの顧問を務める、民話研究の第一人者だ。
▼大みそか、親切な老夫婦に起きた奇跡
まずは、大みそかから正月にかけて起こった不思議な出来事を民話にした隠岐諸島、海士町に伝わる「大歳(おおとし)の夜」を紹介してもらった。

「大歳の夜」(海士町)
昔々、あるところに大層なお金持ちの家があった。近くには貧しい一軒の家があり、そこにはおじいさんとおばあさんが暮らしていた。お金持ちの家では年の瀬が迫ったというので、お餅をついて召使いたちを交えてとてもにぎやかに騒いでいた。
おじいさんやおばあさんの家では年越しをするのにアワ一升しかなく「じいさんよ、困ったもんだなぁ。アワ一升あるんだからかゆでも炊いて食べたらいいけれど、神さんや仏さんに供えるものがなくて困ったなぁ」と言うと、おじいさんも「そうだなぁ。困ったなぁ」と言って考えた。
やがて2人は一度に「あったぁ」と声を上げて庭を指さした。そこには今年の正月にたく炭が一俵だけ転がっていた。おじいさんおばあさんは普段、炭を焼いたりまきを取ったりして、村で売って生計を立てていた。
おばあさん「じいさんよ。あの炭を売って、供えるものを買おう」
おじいさん「わしも今そう思ったんじゃ」
おばあさん「そんならじいさん、寒いけど村へ行って、売ってなんでも買ってきてくださいな」
おじいさん「ほんなら行ってくる」
そう言っておじいさんは素足にわらじを履いて、炭を売りに出た。

その頃、もう片方のお金持ちの家にはみすぼらしい老人が門に立って「三日も食べてないからおなかが減ったし寒いし凍え死にそうだ。何でもいいから恵んでくれ」と言ったら、召使いが出てきて「ちょっと待っていなさい。旦那さんに聞いてくる」と中に入って行った。
そのうち、召使いが戻ってきて「旦那さんがお前のようなやつにあげるものはないから追い出せって言うから、出て行ってくれ」と老人を追い出して門を閉めてしまった。
老人が塀にすがってうつむいていたところへ、炭を売って帰って来たおじいさんが通り「どうしたじいさん、具合でも悪いのか」と言うと、老人は「腹がすいて凍えそうだが、この家から飯一杯でももらおうと頼んだら戸を閉められてしまい、どうしようもなくてしゃがんでいたところだ」と答えた。
それを聞いたおじいさんは「何もないけどわしのところへ行こう」と言うと、老人は「それなら世話になろうか」とおじいさんの家について行った。
おじいさん「今戻ったわ、ばあさん。寒かったけど良いことしたわ」
おばあさん「あら、そりゃあいいことしたわね。じいさん、何か買ってきたの」
おじいさん「おお、炭売って米一升買って来たから、これを炊いてこの人に食べさせてあげよう」
おばあさん「おお、じいさん。それは良いことをした」
こうして2人はその老人をとても大事にして、おなかいっぱい食べさせて、寝る時には布団をかけてあげて、自分たちはわらを編んで作った敷物を着て寝た。
朝、目が覚めると、老人の姿はなかった。2人が老人を探して庭に出ると、俵が3俵積んであり、上に供えの餅が置いてあった。
おじいさんが「これはありがたいことだ。あのおじいさんは金の神様だったんだ」と喜んで、近所の人を呼んで分けてあげ、祝ったそうだ。
もう片方の金持ちの家は、正月の五カ日が過ぎたら、売り家の札がかかって門が閉まっていた。
村の人みんなが声を合わせて「捨てるものがあっても人にあげるのは嫌な人だったから罰が当たったんだなぁ。あんたたちはどれだけ貧乏でも人をいたわってあげたから、神様がちゃんとあんたたちの心を見込んで助けてくれたんだなぁ」と言った。2人の家にはたくさんの人が訪れ、2人は安楽に長生きしたそうな。
金持ちの欲張りには罰が当たり、貧乏でも優しい人には幸福が訪れる。民話に多く見られるストーリーだ。

正月に親切な行為をし、感謝の品をもらう話は有名な「かさじぞう」にもある。苦しい暮らしの庶民が多かった昔に「正月ぐらいは」と、幸せな結末の話を望む人は多かったそうだ。貧乏だが優しい夫婦に正月のごちそうが届くという話しには心が暖まる。子どもたちに語り継ぎたい話しだ。
酒井さんは話に出てくる老人は、正月の福の神が姿を変えたものだとし「正月という時期を神様に例えた面白い昔話だ」と笑顔を見せた。
▼神様を邪険に扱ったおばあさんの悲劇
「トシトコ様」「年神(としがみ)様」という名前を聞いたことがないだろうか。続いて、正月の神様に関する、島根県吉賀町に伝わる話。

「トシトコ様の由来」(吉賀町)
昔から民家には片脚の「トシトコ様」という神様がおり、居間の神棚に片足の草履を供えることで御利益があるとされた。なぜ片脚しかないのかというと、次のようなわけがあった。
昔、ある家のおばあさんが昼前にみそをすったところ、神棚のトシトコ様が「今から飯の準備ができるぞ。早く来い」と人を呼んだ。それを見たおばあさんが「こいつはいつも勝手に人を呼んで、家の飯を食べさせる。このままでは貧乏になる。この家にそんなに人に食べさせる米はない」と言って、みそをするのに使ったれんげをトシトコ様に投げた。
れんげはトシトコ様の脚に当たり、脚が折れて片脚になってしまった。それ以来、その家はたちまち貧乏になり、人も来ないようになって滅んでしまった。以来、地域では「トシトコ様や人に飲まし食わしを惜しむと福が来なくなるので、欲を言ってはいけない」と伝わるようになったという。

トシトコ様は正月に来る神様で「歳神(年神)」「歳徳神」とも呼ばれる。酒井さんによると、農村や漁村で神様として信じられ、村の大黒柱にはワラで編んだ、片方だけのわらじや草履を下げて豊作や豊漁を願ったという。神様を粗末に扱うと必ず罰が当たる。今も昔も、祖霊信仰の考え方が根本にある民話は多いそうだ。
酒井さんは「トシトコ様は各地で知られるが、地域によってはまた違った(片脚の)由来が伝わる。同じ題材でも話の内容が違うのが、民話の面白い点の一つ」と魅力を語る。
山陰両県の多くの地域で、正月には神様が現れ、特別なことが起こると信じられた。他にはどんな神様がいて、どんな現象を起こしたのだろうか。<下>では鳥取県と隠岐諸島に伝わる正月の民話を紹介する。