山陰両県に昔から多く伝わる「民話」。口承文芸研究家で、島根大名誉教授の酒井董美さん(86)によると、話の根本には庶民の哀歓、権力への反抗、地域の神様への信仰があるという。<上>では島根県の出雲地方の民話を紹介した。両県の他地域ではどんな話が伝わっているのだろうか。<下>では石見地方と鳥取県に伝わる民話を紹介する。
(Sデジ編集部・吉野仁士)
山陰両県には多数の民話が伝わり、全国でも5本の指に入るほどの多さという。酒井さんは「山陰のように雪が多い地域では冬に外出できない。冬場はいろりを囲みながら、高齢者が子どもに昔話をする風習が昔からあり、多くの民話が生まれ伝わったのではないか」と分析する。実際に山陰の民話は積雪の多い島根県奥出雲町に最も多く残り、全国の地域別の民話数は、豪雪地帯の東北地方がトップ。昔の子どもたちにとって、民話は重要な娯楽だったのだろう。山陰の民話については、「邑智郡誌」の編著や多数の民話集の発行で知られる江津市出身の歴史・民俗研究者、森脇太一氏(1906~77年)が掘り起こしに精力的だったことも挙げられる。
▼夕陽招いた長者の運命
雨や雪といった天候は庶民の生活に密接に関わっている。庶民は自然に対して畏敬の念を抱き、自然にまつわる民話は多い。農民が恵みの雨を願う「雨乞い神事」は各地に残り、島根県吉賀町の大蛇ケ池や出雲市東神西町の岩坪川が神事の舞台として有名だ。民話「夕陽(ゆうひ)を招く長者」は、益田市の高津地区に伝わり、昔の人々にとって自然が崇拝の対象だったことを伝えている。
万寿3年(1026年)、豪勢な館に住み、広大な田んぼを持つ長者が高津にいた。長者の楽しみは、雇った大勢の早乙女たちに一日で田植えをさせ、出来上がった田んぼを眺めることだった。
ある日、早乙女たちが田植えをしているとどこからともなく猿回しがやってきて、早乙女たちの前で猿の芸を始めた。芸があまりにも面白く、早乙女たちは田植えを忘れ、あぜに座って芸に見とれていた。
途中で1人がわれに返り、「あっ、長者が来てしまう。みんな早く田に入ろう」と呼び掛け、全員が持ち場に戻った。急いで田植えを進めたが、日が西の海へ沈もうとする時になっても田植えは終わらない。
田んぼを見に来た長者は植え残された大量の苗を見てかんかんに怒った。懐から日の丸の扇を取り出すと、沈むお日様に向かって「おーい、いま一度天の高いところまで昇ってくれ!」と叫び、扇をあおいだ。すると不思議なことに、今まで暗かった田んぼの辺り一面が明るくなった。
長者は「そーれ今じゃ。みんなかかれ」と先頭に立って元気づけた。一日で終わらないと思われた田植えがやっと終わり、同時にあたりが暗くなり始めた。
その夜、急に激しい雷が響き、ひどい暴風雨が大津波となって田んぼを襲った。翌朝、真っ青な空に朝日が輝いた頃、長者の家や広大な田んぼはどこにも見えず、津波によって運ばれた砂や石ころで湖ができた。人々は湖を「蟠竜湖」と呼ぶー。
酒井さんは「自分の都合で太陽を招き返してバチが当たった。傲慢(ごうまん)不遜な人を戒める話だ」と解説する。人間が超常現象を起こす点は民話にたびたびあり、醍醐味(だいごみ)と言える。話ができた根本には、実際には実現できない、特殊な力への憧れもありそうだ。
民話には権力者が痛い目を見る話が多い。なぜ、被害を受けるのは庶民ではなく権力者なのだろう。「民話を作るのは庶民なので、やはり庶民からすると自分たちより偉い権力者に対してさまざまな思いがあったのだろう。民話にして面白おかしく扱うことで、留飲を下げていたのではないか」(酒井さん)。庶民の間では権力者への不満がくすぶっていたようだ。鳥取市の湖山池にも「湖山長者」というほぼ同じストーリーの民話があり、山陰の権力者は庶民にあまり良く思われていなかったのかも。

▼悪キツネから信仰対象に?「戸上の藤内狐」
最後は鳥取県の「藤内狐(キツネ)」という、悪知恵が働くキツネの話。
昔、戸上(米子市)地区に藤内狐という悪いキツネがおり、いたずらをして辺りの農家を困らせていた。村中の者が「なんとか退治したい」と話していると、1人の若者が「私にやらせてくれ。キツネを連れ戻ってひどい目に遭わせてやる。馬一頭と綱を用意してほしい」と言う。村人が言われた物を用意すると、若者は「かんかんに焼いた火箸をいろりに置いておいてくれ」とだけ言い残し、夜中にキツネ退治へ出発した。
若者はしばらく歩き、「ばばさん、迎えに来たぞ」と大きな声で呼んだ。返事はなかったが、少し歩いて再び「ばばさん、迎えに来たぞ」と呼ぶと、今度は遠くから「ほーい」と声がした。
キツネの声だと確信した若者は声がする方向へ歩いていき、もう一度「ばばさん、迎えに来たぞ」と言うと、腰の曲がった細いおばあさんが「おお、迎えに来てくれたか」とゆっくり歩いてきた。若者が「ばばさんがあんまり遅いから迎えにきたぞ。もう夜遅いから馬に乗って帰ろう」と話すと、おばあさんは「それならせっかく迎えにきてくれたから馬に乗らせてもらおうかね」と馬に乗った。
若者は綱を手に「馬から落ちたらえらいことだ。しっかり縛らないと」と言い、おばあさんを馬の背に縛り付け始めた。おばあさんは「まあ、そんなに縛らなくても落ちないよ」と慌てたが、若者は手を緩めない。結局、おばあさんが身動きを取れないほどきつく縛り、馬と一緒に村に向かって歩き始めた。
しばらくすると、おばあさんが「少しでいいから綱を緩めてくれんか。苦しいわ」と話し掛けたが、若者は「だめだだめだ。緩めたりしたら落ちてしまう」と聞く耳を持たない。おばあさんは「綱で体が痛い」「小便がしたい」と言い続けたが若者に聞き入れてもらえず、とうとう泣き出してしまった。
若者が「このキツネめ。今日こそは大変な目に遭わせてやる」と怒ると、おばあさんは「もう悪いことはしないから許してくれ」とさらに泣いて謝ったが、若者は歩みを止めなかった。
若者が村のみんなのいる家に着き、「さあ連れて戻ったぞ。焼け火箸はあるか」と声を上げると、待ち構えたみんながおばあさんを馬から引きずり下ろし、その尻を焼けた火箸でたたいた。するとおばあさんはキツネの姿になり、「許してくれ許してくれ」と謝り続けた。
やがて、みんなが「やり過ぎてキツネが死んではいけない。このぐらいで放してやろう」と綱をほどくと、キツネは泣きながら山の方へ逃げた。帰りがけにあった法勝寺川でキツネが尻を冷やしたことから川には「尻焼川」という別名が付いたそうなー。
藤内狐の話は米子市内ではよく知られている。同市車尾の戸上山には藤内狐を「藤内稲荷」として祭った祠(ほこら)がある。悪いキツネが祭られているのか?と思うが、藤内狐は懲らしめられて改心した、という説があるらしい。
酒井さんは「藤内狐に関する民話は分かっているだけで7話あり、かなりの知名度を誇る。祭られているということは昔から信仰があったということで、地域の人々が親しみを込めていろんな話を作ったのでは」と推測する。キツネの民話は全国的に多く、タヌキと並んで「人を化かす」と言われるため、話の題材として適切なのだという。
藤内狐は地域の信仰が反映されたパターンの民話。目に見えない神様を身近に感じようと、人や動物に置き換えて創作したと思われる。「全国にあるキツネの民話が、米子では地域の神様である藤内狐に当てはめて伝わったのだろう」(酒井さん)。藤内狐の7話の多くはキツネがひどい目に遭う話だが、愛情の裏返しということなのか。

今回、酒井さんに教わり、紹介した民話は数え切れないほどある中のほんの一部。山陰両県には、民話ゆかりの墓石や神社が県内各地にあり、隠岐の島にも多くの話がある。民話に関心を持った人は、語り部が常駐している「出雲かんべの里 民話館」(松江市大庭町)がおすすめだ。山陰中央新報文化センター松江教室で酒井さんが講師を務める民話・わらべ歌教室でも話を聞ける。山陰には、酒井さんが顧問を務める語り部グループ「民話の会」があり、小学校や公民館で定期的に民話を披露している。コロナ禍でしばらく会えないお孫さんと再会した時、地域の民話を話してあげると心に残り、いい思い出になるのではないだろうか。