「麦飯って、まずかったの?」。周りのお年寄りたちに聞いてみた。すると一様に「まずかった」との答え。勝手に健康食のイメージを持っていたが、かつて麦飯は「貧民の食」とさげすまれ、白米が最高のごちそうだった▼今年は明治の文豪・森鴎外(島根県津和野町出身)の没後100年。軍医としても頂点に立った鴎外に付いて回るのが、脚気(かっけ)に対して無策で、日清と日露の両戦争で多くの軍人を死なせたという批判だ。患者数は計45万人超と推定される▼脚気はビタミンB1の欠乏症。というのは今なら分かるが、当時は細菌説や何らかの栄養不足説が飛び交い、ビタミンも未発見だった▼そこで麦飯。うまい、まずいは大問題だった。鴎外の陸軍は白米食を続けたのに対し、海軍はビタミンB1が含まれる麦飯を導入し一時、患者数を激減させた。しかし、それは偶然の産物だったようで原因をつかめていないのは陸軍と同じ。麦飯は軍人に不評で、おいしくしようと精白し過ぎ、患者が増えたという。脚気批判の中で鴎外の頑迷さを印象付けた海軍も、長く苦労させられたのだ▼鴎外の死から11年後の1933年に原因が確定。分かればあっけないが、白米信仰が高じた「ぜいたく病」は当分続き、副菜に乏しい50年代まで死者は多かった。鴎外一人をやり玉に挙げるには根が深く、批判の源にエリートへのささやかなやっかみを感じ取る。(板)