「知っていますか」―。きょうとあす、雲南市木次町のチェリヴァホールで上演する市民演劇「永井隆物語」は、主人公を認知しているか問う台詞(せりふ)で始まる。同市で幼少期を過ごし、長崎で被爆しながら救護活動に尽力した医師・永井隆博士を、父、研究者、信仰を持つ者として多面的に描く▼長崎での認知度を孫の徳三郎氏に聞くと、「過去の人」。記憶する人はいるが「リアルに心の中にいる」というより「遠い存在」だという▼永井隆記念館(雲南市三刀屋町)が改装オープンした。駐車場にモニュメント「平和の鐘」が立つ。鐘と博士の縁は深く、「永井隆の生涯」(片岡弥吉著)によると、著作「長崎の鐘」は浦上天主堂の鐘を指す。がれきの中から見つかった鐘は今も高らかに音色を響かせる▼没後70年の今年、バイデン米大統領は「永遠に続く戦争を終わらせる時」と述べ、アフガニスタン駐留米軍の完全撤退を表明した。それでも博士が願った「平和を」の実現は果たされないまま。雲南と長崎。二つの鐘の音が響く空の向こうには、紛争が続く世界が広がる▼徳三郎氏は続ける。「人は亡くなれば忘れられていく。心がけを持った、今生きている人が活躍することが大事」。戦争経験者が鬼籍に入る。先達の思いとともに、博士の願いを伝え、かなえる役割は、私たちに託された。誰に問われても「知っています」と胸を張り言えるように。(目)