ロシア軍によるウクライナ侵攻から半年が経過し、状況は長期的な消耗戦の様相を強めている。消耗しているのは当事国だけではない。戦争による生活への悪影響、「支援疲れ」の兆候は欧米や日本でも顕著である。
だが、力による現状変更と、国家による組織的な人権侵害だけは看過できない。この大原則を世界は再確認し、ウクライナへの軍事支援、財政支援を継続、強化する覚悟を改めて共有したい。
ウクライナを見殺しにしてはならない。それは2度の世界大戦と広島、長崎の惨禍を経て、平和と人命の価値を確認した文明世界の義務であり、試練である。
米国政府によれば、これまでのロシア軍の死者は約1万5千人。ウクライナ側の死者はそれを、やや下回る数だという。しかし、ウクライナでは非戦闘員の一般市民、特に将来がある子どもたちが、数多く犠牲となり続けている事実を重く受け止めたい。
国際社会の模範たるべき国連安全保障理事会の常任理事国が「無差別殺りく」「市民虐殺」という犯罪行為をためらわない。この現実から目をそらさず和平に向けて実効性が伴う手段を全て講じるべきだ。ロシアと中国の拒否権で機能不全に陥った国連の改革も、実現性がないとの理由で諦めてはならない。
ロシアは天然ガスの欧州への供給を一時的に停止するなど、欧米の支援疲れに、さらに重圧をかけている。冬場を控え、国民生活への影響は避けられないだろう。各国の連携と、国民を説得できる指導者の力量が問われている。
人命を救うためには、停戦が最優先である。だが国土の相当範囲を不法占拠された状態でウクライナのゼレンスキー政権が停戦交渉に応じるのは難しい。停戦時の前線がそのまま固定し、ロシアが占領地の実効支配を進めてしまうからだ。
ロシアにも手詰まり感があるが、妥協の姿勢は見られない。現実的選択肢は、ウクライナへの兵器供与とロシアに対する制裁を段階的に強化しつつ、同時に停戦と和平の機会を粘り強く探ることしかない。
南部のザポロジエ原発の周辺では砲撃が続いている。ロシア、ウクライナの双方が相手を非難しているが、ロシアの仕業とすれば「核の威嚇」にほかならない。放射性物質漏れの恐怖で、人心を動揺させ戦意をくじく心理戦である。
いざとなれば放射性物質を拡散させる行為もためらわないという意思表示でもある。次は核兵器だという暗黙の脅しを読み取らせるつもりだろう。
冷戦時代の核兵器は「使えない」兵器だった。核の攻撃は核の報復を必ず受けるという恐怖の均衡が機能していた。しかし、ロシアのプーチン大統領に核の使用を思いとどまらせる絶対的な抑止力を、世界は失ってしまったのではないか。
米国のバイデン政権は核戦争の回避を最優先課題に戦略を組み立て、ロシアを極度に追い詰める事態を慎重に避けているもようだ。核を使うというロシアと、使わないという米国の間に、かつての均衡は存在しない。追い詰められたロシアが小型核を限定使用する懸念は拭えない。
ウクライナの戦争は、経験則では解けない新たな難題を世界に突きつけている。目をそむけてはならない。